小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

ごいさんへ

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「しょうがない」説....

面白いです。

いや、決してフザけているわけじゃなく。

 


自分が”頑張ること”を知り始めたのは約20年前になるのですが、それ以前は「しょうがない」を許さなかったと思います。

あくまでも現在からの想像ですが....

「”しょうがない”なんて諦めの、無責任な、最低の言い訳を凝縮したような言葉だ」と、きっと断罪していたように思います。

 


が、本当にそのような厳しさを自分に向けていたかと言えば....

むしろ全くの真逆で....

自分にヌルいからこそ、おめおめとそんな大口を叩いていられたんじゃないかと....

 


頑張ってなきゃ挫折感とて薄っぺらなもんです。

それ以後も大した頑張りではないのですが、それでもそれ以前に比べたら....頑張るようになってみると...

超えられない壁、跳べないハードルに出っくわします。

 


誰かの父親に言われました。

「ばっかじゃねえの、お前は。そんなこと言ってたら甲子園で優勝したチームのレギュラー以外、高校野球やっている奴って、全員”挫折者”ってことになるじゃねえか....」と。

「何も自分を甘やかすって話じゃねえだろ?ここまででもよくやったよな、ってな話は。それ以上はもう....”しょうがねえよな”という話なんだよ。」と。

 


あまりにも当たり前の比喩なんで、その時は感心もしなかったのですが....

多少なりとも自分が頑張るようになってみると....

いや、頑張るようになってきたからこそ....

「どうしても超えられない」壁やハードルという高さも知ることが出来るようになるわけです。

 


それらを全部”挫折”ということにしないといけないのなら....

再び頑張ろうというエネルギーは減る一方になってしまうんじゃないでしょうか?

 


せめて出来ることは....


「やるだけやったんだ....」を頭につけてやること....

そこまででいんじゃないかと。

 


むしろ....かつての自分は....

頑張ったことがないからこそ...自分の能力が無限のように思えていて....

「しょうがない」

を許せなかったんじゃないかと思うと....

随分と幼稚だった自分がお恥ずかしい限りです。

 

なんだかよくわからない説明だと思いますが...(笑)

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すいません。

setaさんへの返答を書き終えたところで、ごいさんからもコメントいただいておりまして。

自分には珍しいことなので、想定していなかって....

とりあえずsetaさんまでのご返答になります。

 


私もsetaさんのブログは気に入っていてずっと読んでいます。

文章が少ないのも助かります(笑)

ふるさとの御馳走にヨダレも出ています(笑)

 


私の方こそsetaさんの文章には感心させられることは多いのですが、褒め合っていても気持ち悪いので違う方向に進めます。

 


正直に....人目を惹こうとか....褒めらようの気持ちは全くありません。

何度か書いているんですが

”自分の頭の中”だけで結論出したいのが一番なのですが、それが出来ない(格好悪い)ので、文字にしているというところなだけです。

なので、正直写真の掲載すら面倒臭いです。

が、今の時代あまりに無装飾だとそれも気持ち悪がられるので....無理して載せているだけのようなものです。

 


また、誰かを説得したいとか、納得させようとか、そういうのもありません。

なんせ、ええ歳こいて、自分がよくわかっていないのですから、人様に向けるエネルギーまでありません。

というか....

”好かれたい欲求”が乏しいと思います。

ここは家族を始めとしていろいろな方面から実は指摘もされるぐらいなのですが、ともかく”人に好かれること”に興味がないというよりも、それより他のことに興味がある、と思っていただければ幸いです。

 


実際「人にどう好かれる」なんてことは想像もしませんし、そんなことよりも....ただただ....

「毎日混沌としている自分の頭と心を少しでも鎮めたい」

だけのことです。

 


イメージで言うと....

私はあまり好きではないのですが、もののけ姫のアシタカのあざを静めているようなものなのかな?とか思っています。

やりたくてやっているわけではなく.....

疼いてくるから仕方なく....

そんなもんです。

 


だから....

文学少年、少女の多いはてなの皆さんのような技法もありませんし、工夫もしていません。

最初は.....色気を持ってやってきましたが....達人多く、あっと言う間に目標も変わりましたから(笑)

まあ...関西流に言う...

「うまいこと言う」ぐらいはしてみたいとは思っていますが、それよりも何よりも....「どうせ見ず知らずの人に公開しているのだから....」

腹の中まで

気持ち悪いほどに

公開してもいいかな?....ぐらいは甘えています。

 


だからでしょう....コメントはほとんどいただけませんが、それで構いません(笑)

 


見ず知らずの人に対してでも....「吐いてしまえば」....意外に生真面目な自分には多少の責任感が出るようです。

.....まあ、それを利用していますね。

 


で、言った以上は.....

という行動につながるというわけです。

 


というように、あくまでも自分本位なブログなので、あんまりお褒めに預かると.....

正直....嬉しいよりはこっぱずかしいですね。

セレクトとか

予想外とか

全然意識の中にないです。

さほどに技巧的ではなく....

「そのまんま」です。

強いて言うなら「そのまんま」がいかに正確に伝わる”言葉”があるのかどうのか?は探す時もあります。

 


setaさんには長く見てもらっているのであれば、よーくわかっていらっしゃると思うんですが....

ずっと「過去は振り返らない」なんて格好つけてはいるんですけど....

もうやり直しのきかない年齢を自覚するようになってきたらば....

 


多分不満だらけなんですよ

後悔だらけなんですよ

今さらどうにもならないことをわかっていても.....

こうしときゃよかったって考えて....馬鹿だったな....って

そして....哀しいかな.....やっぱり今さらどうにもならないけどな、って...

 


だから.....

きっと同じようなことばっか

繰り返し書いていると思いますよ。

まあ、そのうち、そんなブログもっと誰も見なくなると思いますが....

私は結構構わないんです。

そのうちもっと詳しくお話することがあるかもしれませんが....

とりあえず、ここで「今さらどうしようもないんだけどな.....」という腐った本当の自分....をたくさんピックアップして....

「本当にどうしようもねー奴だよな」と自分を再認識して

「少しはまともになれねーのかよ」....と始めたブログなんですが....

残り時間まで少なくなってきて....

「もう少し頑張ったらいかがなものか?」

になってきている」というところでしょうか?

効果は.....ゼロではないと思っています。

まあ...0.5...ぐらいかもしれませんが....

 


現実の自分は、案外偽ることも上手で、随分と協調性があるようなので、こんな本性は知られてはいないのですが....(笑)

でも、やっぱり、自分の本音は知っておきたいんですよ。

 


誤魔化さずに。

 

しょうがない2

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ごいさんのブログにはコメ欄がない。

なのでなんだかおかしいんだが...自分のブログにそのコメントを書くしかない(笑)

 


先の自分の記事に矛盾するかもしれないし....

ごいさんには失礼な話かもしれないが....「しょうがない」を読んで、根っこの考え方に似たようなところを感じている。

 


たしかに....「しょうがない」は言い訳のようなところがあったり、自分を正当化するようなところがあったり、自分を甘えさせているのかもしれないけれど....

では....「しょうがなくない」んだったらどうなる?

それは、粘り強く諦めない根性の持ち主なのかもしれないが....

執拗で嫉妬や憎悪に覆い尽くされた人間性を憑依している場合もあるんじゃないだろうか?

 


自分は...「そっと置く」という言葉が好きで....

どのような使い方が正しいのかは知らないが....

「そっとピリオドを打つ」...のように理解している。

山口百恵さんが引退の時に歌い終わってマイクを置いたのがそんな感じ。

 


達成して...「やったぜー」なんて終わり方は最高なのかもしれない。

完走して....「お疲れ様~」と皆に慰労される終わり方が理想的なのかもしれない。

でも....勝者で終われる結末ばかりじゃないだろう人生は。

 


思いっきり、正々堂々と戦ったのに....

完璧なほどに負けてしまうこともある。

最後の引退レースで0.01秒差で負けることもある。

それらは諦めずに「もう一度挑戦しなければならない」のか?

 


「しょうがない」

 


は、そんな時の最高の褒め言葉じゃないか....

と自分は思っている。

最高の落ち着け方....つまりは....「そっと置く」....だ。

 


逆の使い方もある。

努力を怠っていて....

楽勝と思っていたテストに落ちてしまった....

そりゃあ...「しょうがない」だろう。

自分の努力不足なのだから...

「誰のせいにもしちゃいけないよ」の「しょうがない」だ。

悔しかったら、もう一度やり直せ。だ。

正反対の使い方かもしれないけれど...

後悔に時間を奪われるよりも、リセットして”再挑戦”への合言葉にはなろう。

 


「しょうがない」は諦めの言葉ではないと思っている。

むしろ醜い姿に変身しないためのリセットの言葉だと思っている。

「それ以上執着心を出してしまうと醜い姿になってしまうよ」と。

 


....どんな方向へでも、どんな歩幅でもいいから....

「次への一歩」を踏み出そうとしてこそ、だ。

そこにつながってこそ、「しょうがない」は爽やかな言葉に昇華する。

 


...じゃない時は....単なる惨めな慰めにしかならないだろうと、そんな使い方はしないように気をつけている。

 


自分はこう考えているんですが....

ちょっとややこしいですか?ごいさん(笑)

楽観的って何?

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”器の大きな男”に見られたがりの父親は、いつも「楽観的な男」を装っていた。

自分のことだけならまだ良いが....事態の直前に真剣に考えている私にまで....

「そんな、やる前からくよくよしていてどーすんだ。やってみなきゃわからねーじゃねーか」と威勢の良い所を常に見せようとしていた。

 


が、世の中それほどに甘いわけもなく....大体が楽観的な結果には至らない。

いや、むしろ楽観的とは正反対の結果になってしまうことの方が多い。

すればどうなるのかと言えば....

もう....尋常じゃないほどにうろたえるのだ。

その様子は狼狽と言っても良い。

自殺しそうに落ち込むだけじゃなく、ひどい場合には家族に当り散らし、人のせいにし、いい歳こいて泣き叫ぶ....

 


そんな姿勢を何度も、何十回も、見てきていたらば.....

少しは違う道を歩めば良かったものを....

よほどにか強いDNAなんだろう、やがて哀しくも「楽観的」を振る舞う人間に自分も育っていった。

 


「楽観的」は平常時は楽だ。

「大したことにはなりゃーせん」と振舞っておれば...何も考えなくてもよい。

それでいて....あたかも”堂々としたような人間”になりすますことが....一応....出来る。

 


しかし....ひとたび思わぬ事態になったれば.....

何の準備もないばかりか....心構えすらしていないので....

堂々さはどこへ行った?恐ろしいほどにうろたえる。

 


父親同様何度もうろたえてきた。

あれだけ舞い上がっていたくせに、正反対なほどに落胆を見せ、周りの人々の気分も害したことだろう.....

何度も、何十回も、自分も、そんな姿を見せてきたと....思う。

 


しかしながらいつしか....誰のせいにも出来ない立場になって....

「楽観的」は捨てた。

 


用心深いどころか小心者と思われても構わない。

予想出来る最悪の事態になったとしても....

うろたえたくはないので....

うろたえてはいけないと思うので...

「楽観的」に魅力を感じなくなった。

 


そんな自分の未来の想定は大体決まっている。

良いことは「最小」

悪いことは「最大」

に....見積もるクセがついている。

 


例えば....収入の予定は「最低額」で、支出の予定は「最高額」で。

ならば、そりゃあ「お金が残る予想」にはならない。

なので全然楽しい予想じゃなくなる。

 


が、事態の平均は....それよりは多少マシなことが多いようだ。

つまり....最悪は”最”とつくだけあって....さほどには頻度は無いようだ。

 


今はその延長にある。

そりゃあ”捕らぬ狸の皮算用”を想像しないこともないけれど....

最悪....「ここまで駄目になるだろうな....」という残念な予想も立てているつもり....

 


そんなんじゃ未来が楽しくないだろうに....という人も居るんだが....

根拠の無かった”楽観”の喪失に加えて、見ないようにしていた恐怖に襲われる方がよほどか楽しくない。

さてさて誤魔化しきれるかな?

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先日、高校時代の友人に会った。

ちょくちょく会うんだが....

照明の関係か、お疲れか?、妙にシワが多く見えた。

 


どちらかと言えば自分よりも若々しい奴だったので、予想外なんだが....

これが現実というもんだろう。

 


人生100年時代だとか、70歳までの雇用延長だとか言われ始めもし、アンチエイジング大流行で....

なんだか”老けること”は悪であり、除去しなければならない風潮が漂っているように思えるんだが....

生物的には命の伝達も出来ないような生き物に餌を食う権利はないわけで。

それは残酷でもなんでもなく、地球上の貴重な資源は「未来の生物のために」使うべきなのだ。

そんなことは他の生き物は皆わかっていて...DNAでそれを引き継いでいる。

つまり....子孫が生まれたら親は死んで子孫に餌が行き渡るようにしてやるのが当たり前。

それをブチ壊しているのは人間だけだというのに....

どれだけ生きれば気が済むのかという話。

いずれ....バチは当たるだろう。

 


という渦中の年齢に自分も当たることを再認識した。

ようやく落とし所は見つかったんだが....

そこまで混沌とした一因には”衰え”もある。

気力でリカバリー出来なくなってきているのだ。

これまでとは....

違うたしなみ方、違う行動の仕方、が必要となるなら....違う考え方も必要になるということ。

ここまで彷徨ってきたことも無駄ではなかったと思えた。

 


なので今後の5年とて、楽しい計画であるはずがないし、おそらく達成感のある終わり方にもならないと思う。

良くて....せいぜい....「なんとか5年過ぎたか...」という安堵感だ。

開始早々すでに厳しい問題ばかり起きているし....

 


でも、それは仕方のないことだと思っている。

途中でも書いたが....

人間既に余分に生きているのだ。

ある意味地球上に必要もないのに、人間だけが無理矢理に寿命を延ばして生きようとしているのだから....

そりゃあ”生き辛くて”当然だ。

 


自分とて....「あと5年」は....自分の思想や体力を考えてのことではない。

日本に住まう以上日本の法律や制度やしきたりをふまえると....

「もう5年」は頑張らないと不幸になることが予想されるので....

「仕方なく」ってところなのだ。

つまりは....

もう5年は頑張らなきゃいけないことに観念させられたってな結論だったわけ。

 


もともとに楽しくあるはずもない5年を楽しいものであるかのように一生懸命誤魔化して行く5年になるんだろう。

 

我慢

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混沌?...から....一歩...いやそこまでいかないかな?

血の海から「手だけ」でも、抜け出してきたカンジ。

 


「視界が開けてきた!」というよりも....残念なことに....いろいろ考えあぐねたものの....

最低でも、もう少しは頑張らないと、嫌でもここまではやらないと....ってな”線”が見えてきた。

奇しくもまたしてや....ほぼ5年という期間を。

 


世の中というのは大体そういう周期で流れているんだろうか?

1年程度のズレはあるものの....自分の場合は大体5年で移り変わっている。

 


当初は五ヶ年計画なんてものは存在しなかったけれど....

「ともかくこのままじゃあいけない」....とジョギングを始めてから来年で20年になる。

その間良くも悪くも大体5年で「次のステージ」に移っている。

感心するほどに。

 


それになぞらえて言うなら、今は4期目の終了間近。

いわゆる政権で言うならレイムダック状態。

だから「次」が見えて来ずに混沌としていたんだろう。

 


まずは先日も書いたように”短め”の目標は出てきた。

本音は「もう頑張りたくない」....んだが....

世の中お金は必要だし、ある程度の自由はお金があってこそ....というところもある。

どっちで妥協するのかといえば....精神的にも肉体的にも「仕事」を選ぶしかないかな?

というところ。

それが1年9ヶ月の根拠だった。

 


最低”そこまで”頑張れば...もう何もかもやめてしまってもいい。

あとたったの1年9ヶ月。

比較はおかしいが、高校や大学にろくざに顔を出さずに遊び狂っていた期間はそれ以上なので、1年9ヶ月なんてあっと言う間だということは想像出来る。

正しく言えば....”後々後悔するぐらいに...”あっと言う間に過ぎていることに気が付かない期間だ....

 


その答に辿り着いた時には....正直ホッとした。

人生ここまで来ていたのか?とか思ったりもした。

...でも....そのジ・エンドでは....実はその後の人生は....ちょっと我慢しなきゃならない。

もうお金の入るアテもない年齢だからして....その”我慢”はずっと続くことも想定される。

 


今も辛い毎日だ。

が、その分少しでも将来の蓄えを積んでいる。

一日100円でも一年36500円になるように...辛いが...将来には楽の種を増やしている。

その辛さと、どうしようもない辛さは多分....全然違うような気がする。

もう少し....出来うる限り...今の辛さに長く耐えてみてはいかがなものか?

本当に1年9ヶ月で切り替えてしまって後悔しないか?....

 


ってなところから最大限譲歩したプランを構築してみた。

これからの”積み上げ”じゃなく...予想される結果からの逆算だ。

俺の人生ここまでは届きたいってな....

そうしたらもう後悔ないな....と。

 


”それ以上”ってな向上心も必要なのかもしれない。

が、もともとが1年9ヶ月でさえもうシンドイのだからして、あんまり無理な注文も消化できないだろう(笑)

 


そしたらば....

たまたまに....

大体あと5年....ってなところが見えてきた。

奇しくも....前倒し等でブランク空いたけど....

やっぱし5年だったんか....ってなカンジ。

 


正確に言うと5年と8ヶ月。

本当は6年と8ヶ月が「完走」なんだが....

まあ...1年ぐらいは早くに楽させてやってもいいかな?と

1年という褒美ぐらいは自分に与えてやってもいいかな?と

そう考えたら....妙に”丁度良いライン”が見えてきた。

 


また5年も頑張らなきゃならないのかよ。

正直そんな気持ちも大きいんだが....

もう4回も5年頑張ってきているので、5年間という期間の感覚には慣れてもいる。

なので、丁度良いところかな?と。

ハマる時はピタっとハマる。

それが神の思し召しだと思う。

 


今度の5年で何をするってわけじゃない。

もちろん細かく考えていることもあるんだが...

中心は....ただただ、ただただ、我慢するだけ。

どんなことも我慢して働き続ければ....

それで合格だ。

それで自分の人生は合格だと言ってやれる。

目標は....

「あと5年我慢し続ける」だ。

 


人生良く出来ている。

おそらく最後になる5ヵ年計画の目標は....

一番苦手で今まで成し遂げたことがなかった....

 


「我慢」だとは....

 


苦々しいにもほどがある。

哀れな自分は案外清々しい

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過去を深堀りすることは....

おどろおどろしい後悔に取り憑かれることになろうから....

やめておいた方が良いと言われるのだろう。

 


たしかに....後悔しようもないほどに努力していた人ならば....

「これ以上一体どうしていたらヨカッタと言うんだ」....のような怨念が生じてもおかしくはない。

自分もそうなるのかな?とか思ったりしたこともあった。

 


が、実際に自分の過去に出かけてみたらば....

 


自分は...恐ろしいほどに努力をしない人間だったことを思い知る。

一体、あれほど大量にあった時間をどう過ごしていたのか?

そこに不思議さを抱くほど、努力の形跡がない。

 


たしかによくサボってはいたんだが....

遊びとて....真剣に夢中になっていた....ようでもない。

 


随分と昔の記憶になるので、今からの想像も混じっていようが、「しっかりと遊んでいたから」努力する時間が無かった....というよりも

ただ単に「努力するのが嫌なので」ダラダラとサボっていた時間がほとんどだった....と確認できてしまう。

残念だけど。

 


運動会の直前とか、試験の直前とかに、”急に”頑張ってみたことはある。

でも、そんな程度。

しかも....そんな”程度”を「短い期間ながらそれなりに集中したからまずまずの結果を出せた」....な~んて平気で思えていた。

 


アホだ(笑)

 


そういうことが自分の場合は、過去を振り返れば振り返るほどによくわかってくる。

たしかにそれでも人並み程度の成績とかあったから....

「やれば出来るよ」なんてよく言われたりもしたんだが....

それが”おだて”の言葉であることすら見抜けないほどに...

 


アホだった(笑)(笑)

 


ということがよ~くわかってくる。

 


となるとどうなるのかと言えば....

後悔どころか....

むしろ”現状”に肯定的になってしまう。

いや、”現状”に対する不満や不平は消えないんだが....

それらの不満や不平に対して、自らが....

「そんなこと今更言ったところで、こんな程度にしかならないように生きてきたのは自分でしょうが....」と打ち消すようになってしまう。

 


誠にけったいな状態なんだが....

”取り憑かれる”どころか...妙に清々しくなって...「いやいや...その割りにはマシな方なのかもしれないな」とか苦笑いが出てきてしまったりする。

 


なので悔しさとか悲しさとかはあまりないように思う。

それがいけないのかもしれないが....

 


こういった思考を始めた最初の頃よりもどんどんそうなってきている。

いわば反省探しのために過去を振り返れば振り返るほどに....

「なるほどな、だからこんな程度なんだ」と、妙に納得するようになっている。

 


決して自分に合格点を出しているわけでもない。

が、振り返れば振り返るほどに、過去の自分は「野望や意欲や執着だけは」大きいくせに....

それを達成するための努力は雀の涙程度だったのだ。

それがわかってしまったら....今度は急に、焦って、取りかえそうとして...「空回り」ばかりなのだ。

 


それだと....

「努力しなかった人生が半分」

「残りの半分が空回り」

併せたものが「自分の一生」

になってしまう。

 


さすがにそれは嫌だ(笑)

そして、まだ諦めたくはない。

努力で不幸から遠ざかることが出来るのならその努力の端っこぐらいはつかんでいたい。

 


そのために必要なのは、まずは”格好つけていない正直な等身大の自分の把握と確認”かな?と。

自分の脳裏にしかないのをいいことに、けっこう誤魔化したり、格好つけたり、装飾したりしているわけだ。コッソリと。

そんな現実離れした自分の上に作戦を展開したところで....そりゃあ砂上の楼閣作りに邁進しているようなものになるだけだろう...と。

自分に言い聞かせているわけ。

 


いい歳こいていまだまだ自分をコントロールできていない。ってことだ。

なので冷静に自分のことを研究しつつ進んでいくことかな?と。

 


毎日探しながら、試行錯誤しながら、雀の涙程度の努力をしながら....

それでもとりあえず諦めなければ....何も考えていないよりはマシな人生にはなるんだろうと...