ここまで色々と考えてきていることが.....無駄でもなかったかな?と思えているのは....
「下り坂」という表現に対する抵抗感の薄らぎだ。
たしかに五木寛之先生の本のタイトルは「下山の思想」だった。
ナルホドとも思った。
読んだ当時は自分も少しは若く、「いつかはこんな心境にもなるのかな?....」のような感想だったと思う。
が、実際の当事者となってみたらば....
自分の場合は...残念なことに「下山」などと言う高貴なお言葉には当てはまらない。
今回のイチロー選手の引退を見ても...改めてそう思った。
五木寛之先生やらイチロー選手やらの頂点を極めた人であれば....
そりゃあ「下山」と言う表現は的確なのかもしれないけれど....
何の頂きをも極めていない自分の場合....
「一体どこからの下山?」
「下山」じゃ誠におこがましい。
そういうこと。
計画的だったかどうかにかかわらず....ある種の目標や頂を目指した人生があったればこその
「下山」だ。
自分の場合は「何もしてこなかった」までは自虐しないが、
思考錯誤、五里霧中、右往左往、七転八倒....ともんどりうっていて....
「ハッ」と見まわしてみたらば....
どこを向いても「下り坂」しか残っていなかった....
ってなカンジ。
なので....
「な~んだ。”下り坂”って案外的中した表現だったのか?」と。
もう2か月?3か月?
「下り坂生活」を考えるにも結構慣れてもきた。
何度も言うが、別段暗くはないどころか....多分少しだろうけど、意外にも肩が軽くなっているような気がする。
「下り坂」だからこそ、卑しく欲張りな自分でも、捨てたり、見切りをつけたりできるモノが出てきているからかもしれない。
ちょうど良い時に貴景勝というお相撲さんが出てきた。
まさにストレート勝負といった気持の良い相撲を取る。
それは....若いからこそ似合うし、効果のある生き様だ。
自分が若ぶって下手に真似たりするならば.....
額を割って血まみれになるのがオチ。
そういうことなんだと思う。