若い時代は考えることを放棄していた。
もともとは嫌いではなかったと思う。
ただ....時代の風潮に短絡的に迎合した。
漫画、アニメ、ドラマの主人公よろしく....
明朗快活単刀直入瞬間湯沸かし器のように、
深く思考する以前に能動的衝動的感情優先で、
行動してしまう方が....
「恰好いい」と
幼稚な自分には映ったのだろう。
その後も”幼稚なまま”ならば....そんな性質も継続する。
そうではなかったとしても....”考えること”は元来面倒臭いし、厳しいし、寂しいし、辛い.....孤独な作業だ。
でも....それだけのことはある...いや、あった。と思う。
考えることに負けなければ....
”考えた分だけの”前進はする。
今回はそれが身にしみた。
こんな年齢になって初めて気がつくのが恥ずかしいぐらいに。
そうだよな。
考えることが無用ならば
命を賭けたいにしえの哲学者の思考には一体何の意味があったのかということになる。
考えたからといって....突然霧が晴れるような解消法が思いつくということもない。
そんなにも簡単に見つかるならば逆に考える必要もない。
苦しんで至った答は....
妙に納得するし、それに従って失敗したとしても後悔しない。
考えたからといって必ず成功に結び付くわけではないが....
考えないよりは確実に良い方向に向かったという実感があるからだろう。
人に相談することを精神衛生上で促す人もいる。
まあ、そうなのかもしれない。
でも.....独りで悩むことはものすごく重要だと思う。
これだけ豊かで便利な世の中だからこそ....
その方法でしか見つからない答があると思う。
この三年の感想はそんなところ。
とりあえずもう腹は決まったので
どんな下り坂にしてみようかと
そこに興味を持ったりもしている。
いや、いまだ「下り坂」という表現には非常に抵抗感があるんだけど....