「コロナには...いくつものタイプがあることがわかってきた」
とか言われる。
なら、人間にだっていくつものタイプがあってもおかしかないだろう。
「人間は集団を好む生き物だ」
「”仲間”を大切に」
否定はしない。
が、”濃さ”ってあるだろうと思う。
少なくとも...「集団が大好き」~「集団は苦手」ぐらいは...
「集団好きでなければいけない」
は、ある種のメンタリスト達に利用されてきたフレーズのように思う。
〇朝鮮のマスゲームを日本人は笑っているけれども...
欧米白色人種から見た時なんぞ...オリンピックで一生懸命日の丸振ってる日本人との「違い」...は、分からないと思う。
皮肉なことに....コロナは...その集団好きな”集いの場”をことごとく破壊し続けている。
屋形船、観光バス、学校、カラオケ、スポーツジム、劇場、競技場、旅館に旅客事業...
これまでは...
単身赴任だろうと、共稼ぎだろうと、満員電車だろうと、三交代だろうと...
「集まること」至上主義だったので...
まともに対処出来ないほどの”矛盾”を排出し続けている。
とりあえず...
ソーシャルディスタンスとか、テレワークとか、リモート出演なんて目新しい”言葉”で誤魔化し続けているけれども...
要するに...これまでとは正反対の...
「集まらずに自宅に居ろ」と言うことだ。
もっと言うなら「自宅でも集まらずにバラバラで居ろ」
とまで言われている。
「ひざ付き合わせて」
「肩を組んで」
「手に手を取って」
こそが...「あるべき美しい人間の姿」とされていたのに...
その”集団崇拝思考”は...「集まっちゃ駄目」の掛け声のもと...
「通用しないもの」と一挙に否定される日常が舞い降りた。
そんな中...
相変わらず淡々と...
「ポツンと一軒家」なんかが関心を持たれ続けている。
ポツンと一軒家は別に「人間関係をあえて断って孤独を追求している」ような凄まじいものじゃない(笑)
「”集団と距離を置く時間”ってのもそんなに悪いもんじゃない」
という程度のことなんじゃないだろうか?
なんだろう?
軍隊掲揚のためだったの?
国威発揚目的だったの?
国力増強成長主義のためだったの?
「みんなで一緒に」は。
”集団崇拝”って...時の偽政者に、そんなことのために利用されていたようにも思う。
いや、今でもか?
が、コロナによって...「通用しない行動様式」のレッテルを貼られてしまうなら...
反対側の...
一人になってみる
一人で考えてみる
は、もっと持ち上げられてもいいんじゃないか?と思う。
良い機会のはずだ。
少なくとも..
集団に寄りかかることと同じぐらいの重要性はあるんだと
見直されても良いんじゃないだろうか。