コロナの前までは同級生との飲み会も異常に多かった。
他の知り合いからは「珍しい」「信じられない」と反応されるぐらい...
だからコロナの最中には...
「自粛期間明けたら必ずね」を合言葉のように連絡も飛び交った。
そして今年の5月からは解禁されたように...2度も3度も飲み会が開かれた...んだけれども...
何故だか夏以降、連絡がプツリと途絶えている。
逆にそれ以外の人との関係は至って普通に連絡がある。のに。だ。
同級生。
当然に「同い年」。
なんだかわからんじゃない。
若いつもりで宴に盛り上がっていたものの...
醒めてみるなら...
本当には若くない...現実を...いろいろなところで知る。
なんたって体力そのものが違う。
無責任に若い場所にも居続けられない。
そんな”現実”に向き合う時間は日々増すばかり。なんだろう...
そしてその受け入れも案外素直なのだ。
若い頃ならもっと反発していたかもしれないけれども...
”十分な大人”になっているので...静かに納得しているのだろう。
祭りの後の静けさとでも言おうか...
集まって同じように騒いでいても...
昔のノリとは違っている。
そんなことはわかっている。
わかった上でシラけさせないようにノッている。
でも、帰る場所は...それぞれが、それぞれの「おじいさん」「おばあさん」の場所なのだ。
寂しいとか、わびしいと思っちゃいけないと思う。
これが、自然の状態なので。
ただ...コロナという偶然で、少しの間竜宮城にいた浦島太郎になっていたのかな?
現実の方が異常な世界になっていたので。
異常な騒ぎで”現実”を忘れられることも出来ていたのかもしれない。
その忘れてしまっていた現実が、次々に戻って来るようになったれば...
なんてところなのかと思う...
自分の場合はコロナと相まって...”ゴール後”の予定外の忙しさに、我武者羅に忘却出来てきた3年だった...のが...
だんだん衰えてゆく等身大の自分が誤魔化せなくなってきて...
なおかつもっと衰えてゆくだろう未来もぼんやり見えてきて...
実はもう”違うステージ”に足を踏み入れているんじゃないかと...
そして...そこでの生き様は...若い頃のような馬力がない分...
丁寧で、穏やかなやり方じゃないと...うまく受け入れてもらえない世界
であるような気がしてきた...わけだ。
自分にとっては意外にも...
こんな年齢にもなって...
”前人未到の生き方”が必要とされているカンジ(笑)
考える方向や手段や程度がこれまでとは随分違うんだろうと思う。
が、「考えない」「見えてないフリする」「順応したくない」よりも...
「ちゃんと向き合って考える」方が幸せには近づける...
基本線は同じかと思う。
でも...ああ...今週も疲れたぜよ(笑)