若い頃はこれでも「自分への需要」を勘違い出来た。
ファッションにこだわり、ヘアースタイルを気にしたのは...
「”見た目”の需要もあるだろう」と期待出来たからだ。
今をも気にしない方じゃない。
が、もうハッキリ方向転換している。
「恰好良く見えるかどうか?」ではなく...
「気持ち悪がられないかどうか?」だ。
残念だけれども...それは「年を重ねること」の宿命なのでいたしかたない。
よく...
「あらそうなの?うんと若く見える」
とは言っていただける。
が、それは「お世辞」だ。
そう思って間違いない。
仮に1歳か2歳ぐらいは「若く見える」としても...
分母が違うのにその1歳、2歳はどれほど?
ということで...
容姿を始めとして...自分の需要は若い頃とは違っているし、これから先なんてもっと大きく違って行くだろうと認識している。
それは...少し寂しいことでもあるんだが...
ある意味「楽になれる」ということでもあるように考えている。
例えば...
なんやかんやでトレーニングを始めて21年になるんだが...
そういやこれも「ゴールまで出来たら」と考えていた。
特にこの5年程はなかなか辛くなってきて...
最高回数だったり、最高ペースの維持なんて出来なくなってきて...
トレーニングというよりも「健康運動かよ」という程度になっているんだが...
そういえば...
「ゴールを過ぎても」
気が付かずに続けていることに...
先日気が付いて...笑えてきた。
これぞ「習慣」の効果なんだろうけど...
ゴール前あたりに「まだまだ諦めるんじゃない」とばかり...少し無理をしたらば軽い肉離れで内出血した。
「努力が身になる」
んじゃなく...
「努力が身を滅ぼす」歳にもなっていることに冷静であるべきなんだろう。
すれば...
自分への需要など「変わっていて」当たり前だし、
もっと変わって行くだろうし...
やがては無くなって...
ゼロになる。
努力するならば...
それを哀しまない人間性を身に着けることなのかもしれない。