様々な現象(事態の進展)が相まって...
「転換点」が近づいていることが大いに想像出来るようになってきた。
若い頃にはわからなかったけど...
こんなボンクラでも「転換点」を何度か過ぎてみたならば...ある程度はニオイがしてくるものだ。
自分にとっての”転換点”と言えるような状況はさほどに多くはない。
アバウトに...3年前、13年前、23年前、43年前...ってところだと思う。
だから...4度。
なので、”その他”は転換点のように見えても...言えば”軌道修正”程度のもので...「少しズレた」ってなところなんだろう...。
「転換」なのだから...どうしたって行動様式(ってか考え方)にも大きく影響する。
つまりは”そこで”人生そのものが大きく「変えられたのか?」というほど「変わった」
そこでの「右の道」と「左の道」の違いは想像すると恐ろしい(笑)
そんな「転換点」が近くなっている。
若い頃に比べるとインターバルが短くなっているようだけれども...
それも当然。
伸長が失くなり、衰えは増すばかり、それに連れて死も近づいているのだから...
”節々”が短くなるのは当然なのだ。
自分にもいつしか「両親の居ない友人」が増えている。
そんな年齢だ。
仕事だって...先が長い...はずはない。
むしろ...「ゴールした」はずの自分の現在の立ち位置の方がオカシイのだ(笑)
まあ有難いことなんだろうけど...だから余計にこの立場は「長いはずのもの」であるわけがない。
そしてそれを惜しむのも少し欲が深すぎるというもの。
ただ...偶然にも続けてみれば...
完全な引退
はも少し先でいいかな?
と思えてもきている。
ありがたいことに...まだ「毎日が辛い」といった体調でもないし...
そして少し肩の荷が降りたからだろうか...
柄にも似合わず「人様に喜んでもらえること」に妙に喜びを感じるようになったりもしてきている。
不慣れな感情なので、違和感も大きいんだけど...
まあ、よく使われる言い回しで言うところの...「社会のお役にたっていたい」ってやつかな?
いや...「社会の仲間でありたい」と言うべきかな?
ただ...哀しいかな?
”そのため”には...努力だけではなく、知恵や工夫も必要な年齢になってきているし...
なんなら”愛想”も必要だ。
化粧とまでは言わないけれども...嫌がられない容姿...も気にした方がいいだろう。
自分にとっては「大きな転換点」であろうとも...
大袈裟に披露する必要はないと思っている。
人様の人生には大して関係のないことなので。
だから...ひっそり、コッソリでいい(笑)
いや、ひっそり、コッソリだからこそ...堅実には進めたい。
少し思い出してきた。
「ゴール」までは...「ゴール」が目標だった。
だからその「ゴールまで」もを「2年も先延ばし」出来て今があるんだと思うと...
「次のゴール」も想定しておいた方がいいかな?
ちょっと中途半端だけど...
今から「7ねん半後」かな?
果たして生きているのかな?(笑)
ひょっとしたらそこが最終ゴールになるかもしれないし、その前に最終ゴールを迎えてしまうかもしれない。
先日奇遇にも97歳にて立派な絵を描くおじいちゃんに出会った。
何もかもが「普通」であってビックリした。
そういう人生もあるんだ。