小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

ブレーキを踏む



 

丁度の展開がやってきた。

昨年末から起こった急な事態に混沌とさせられ、さしたるアイデアも浮かばないまま(”我慢”で過ぎて行くのか?)と思っていたところ...

急に進展をし始めた。

 

「ゴール」の前もそうだった。

こういう時の自分は...

「考え」に「考えてしまう」

ある意味苦しいことなのに...

苦しいことに向かって夢中になっているような...様になってしまう。

 

思春期に入った頃に、特に教師や父親に非難された。

「せっかく竹を割ったような性格だったのに...そんなにもジクジクしていたらみっともない」と。

そう言われてしまうと...青春ドラマの主人公からは「ほど遠い」スタイルで、自分でもなんだか恥ずかしいことのようで...そんなジクジクを隠そうとしていた。

 

が、今はそうじゃないと確信している。

生の人生はドラマのような「作り物」とは違うので、そんなにもカンタンに「思うように」は行かないのだ。

いや、「全て思うようにはいかない」としても...全然”普通”のことだと思う。

 

それが...自分だけが...自分だけの”ちっぽけな努力”で...「思うようになる」などという願望を抱く方が...傲慢というものだ...と自分は考えるようになった。

 

これは簡単に吐露してしまうと大いに批判を受ける場面もしばしばあったんだが...

基本的に、この考え方に簡単に批判をする人の人生は...大体大したことない(笑)

当然だと思う。

自分一人の力や努力を過信し過ぎているので。

 

よく書いてきたが...私を非難していた父を見ていてもよくわかる。

言うことや理念は恰好いいのだ。

テレビの主人公のようなことを言い続けているのだ。

(そもそもそれさえも思慮深い人は普通は言わない、笑)

が、少なくともこの50年ほどは...「言っていること」と「やっていること」「やれていること」が全然違うのだ。

私が「大志」を嫌うのは、そういうところにあるのかもしれない。

 

むしろ...「その前に」やれることはたくさんあるだろうに。

やらなきゃいけない「小さなこと」がいっぱいあっただろうに。

 

そんなに難しくもなく、大きなことでもないけれども...

「やっておいた方がいいこと」「やらなきゃいけないこと」もたくさんある。

そういうことを「小馬鹿にし」軽視して、あまりにも多くをとりこぼしてくると...

時間的に、体力的に...

永久に「取り戻せなくなって」...

つまりは永遠に「やり直せなくなって」しまうんだろうと...

 

「身の程を知る。」

というのは...自分の程度を知ることだと思う。

世の中運もあるので...自分の力量以上の成果をつかむ時だってある。

その時は「喜んでいる場合じゃない」と思う。

 

強く戒め、、ブレーキを踏むべき時だ。

自惚れて、思い違いをしないように。

 

考えることに夢中になって考えに考えていた。

藤井竜王さんがどのような思考回路なのかは知らないけれども...

こんな自分でも、考えないよりは考えた方が妙な案でも思いついたりすることはあるのだ。

考えることは全く悪いことじゃない。

問題があるとすれば、”考えること”ではなく”考え方”にあるのだろう。

 

その妙案?から急激に事態が進展し、少し明るさが見えてきた。

ここなんだよね。

ブレーキを踏むタイミングは。

 

若かりし頃は父親同様、こいうところで

「さらにアクセル踏み込んで」いたものだ。

それがどんな結果につながっていたのか...

 

林先生のような天才には「今でしょ」とアクセルを踏む場面が頻繁にあるのかもしれないいけれども...

自分のような凡才の場合は...「今でしょ」とアクセル踏んだ途端に落とし穴に真っ逆さま...だったことの方が多いんだよね(笑)

体験談だ。