小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

ゆっくりでいい



 

元旦にも書いたばかり...かつ、このブログにもこれまで書きすぎるほど書いている自分の欠点に...

「毎度毎度急ぎ過ぎている」というのがある。

ここ近年は...特に「ゴール」を果たしてから?さらに意識するようにもなっている。

 

その「毎度毎度急ぎ過ぎている」師匠は実父だ。

いつぞやの飲み会に参加する際、まだタクシーは停まってないのに、道路の途中で降りようとし、歩道の段差でつまづいた。

普通...そんなこと...小学生でもしないのに...

 

家族との行動が嫌いな彼がお義理で連れてってくれた海水浴はいつもこう...

到着が早朝の5時とか6時。

海はまだ冷たい。

店も開いていない。

そして...人が多くなってくる時間になると...そこで終了、即帰る。

彼曰く...「行きも帰りも空いているから渋滞しなし昼飯も要らない。おまけに昼からの時間が使える」と。

 

たしかにそうなんだが...肝心の「海水浴は」もう「寒中水泳もどき」で誰も楽しくなかった...から...

最初は同行していた近所の友達も...参加しなくなった...のだ。

 

環境は恐ろしい。

自分はそんな「面白くもない体験」をしているというのに...

DNAに張り付いている”時間的感覚?”をソックリ受け継いでしまっているようだ。

 

特に...「ゴールまで」の日常では...

は必要もあった...とは思うのだけれども...

毎日急ぎに急ぎまくっていた。

 

そんな「急ぎ」ってのは...けっこう「怒り」に近いモチベーションだと思う。

だから...「急いでした行動」は実はかなり他人との軋轢の種にもなっているはずだ。

周囲が我慢しているだけで。

 

その実父は昨年末、カラダもボチボチもうろくしてきたというのに...

一体何を急ぎ、何に焦っているのか、わからないような散歩の場面で...

急ぎ過ぎて歩道から落ち、首の骨を折った。

幸い?にも、大きな部位ではないし、命にも別状はないものの...結果「急げないほど不自由に」なってしまってはいる。

 

これが...「急ぎ過ぎた結果」なのだ。

しかも...周囲は皆「止めて」きただけに...

「自分のせい」なのだ。

自分が自分をそこまで貶めたとも言えるのだ。

 

自分も似たような思いを何度もして...

「急ぎ過ぎていること」は「決して好結果をもたらさない」と気が付き始めた矢先の出来事だ。

 

貧乏性なので、実質の「休み」は元旦一日のみ。

それも悪くはないと思っているのだけれども...

でも「我武者羅に頑張る必要もない」と戒めている。

 

人より「早めに」始めれば...「ゆっくり」「ジックリ」でいいのだ。

それで足りないというのなら...

人より遅くまでやり続けてりゃいいだけだ。

まだまだそんな様式には”不慣れ”(笑)なんで...

こうして「言い聞かせている」んだけど。

 

あえて「ゆっくりやろうと」試みるようになったのは昨年か?

まだまだビギナーの領域なんだけれども...

それでも...

失敗が確実に減っている気がするし、何よりも「やり直し」も減っているのだから...トータルの必要時間は「少なくなっていたりして?」...とか思ったりもしている。

 

そうね。

「急ぎ過ぎる」ってことは

失敗しない処理速度を超えている

ってことなんだろうから...

そりゃあ「良い結果を残せる方法じゃない」というのも当然なんだろう。

 

せっかく早めのスタートをしたというのに...

早くもこんなブログを書いている。

ま、それぐらいでちょうどいいのかな?と