「コレがあったから...」といううものではないのだろう...
多分...月日が経ってしまって...
「他人事」のようだから...
ドラマの端役のように「自分」を見られるようになってきた...
んだと思っている。
順番は別として...
遊びに溺れ、女に溺れ、タバコに溺れ、酒に溺れ、パチンコに溺れ、麻雀に溺れ...
親に甘え、友人に甘え、社会に甘え...ていたくせに...
そのくせに...
思慮に足りず、考えるところに足りず、努力を怠っ...ていたくせに...
どうしてあれほどイキりたち...
人のせいにし、社会のせいにし、政治のせいにし、親のせいにし、大人のせいにし...
どうして...
「自分のせい」にはしなかった?
...いや...知っていたはず。
見えていたはず。
ただ...「自分のせい」にした途端...
「巨大な(本当は普通なんだろうけど...)”努力の壁”が目の前に現れて...
とてもじゃないが怠け者の自分じゃ対処出来ないだろうと...
逃げてきたんだろ?
自分だけでも...
変わりましょう
努力しましょう
反省しましょう
なんてチャンスは山ほどあったはずなのに...
こすっからく、要領よく、そこをすっ飛ばした。
あはれだ。
泣いていない。
むしろ笑える。
あまりにもあはれで。
悲しんでもいない。
呆れている。
あまりにも愚かで。
ドラマのように”一瞬で気が付く場面”になんて現実世界じゃ遭遇しない。
「俺...なんか...オカシいんじゃないか?」
”気づき?”とでも言うのだろうか?
そんなところに妙に敏感になってきて...
誤魔化しきれない”わだかまり”のようなモノが堆積して...
自分が...
なんだか気持ち悪~い生き物であることを否定出来なくなった時から...
「変わりたい」
ってな気持ちが生れるんじゃないだろうか?
生れて初めて思ったのは...約40年前。
失敗した。
若過ぎた。
あまりにも「自分本位」過ぎた。
それじゃあ「変わる」のではなく、「自分の都合の良い自分」にますますなっただけだった。
次に訪れたのは約20年前。
少しは大人になったので...あえて急がないようにした。
完成形も追わないように意識している。
「やれるところまで」でいい...
失う以上の早さで身に付けられる道理はない。
最初に始めたのはジョギング。
たわいもない努力だ。
「走ること」を続けることさえ苦痛だったので、「増やして行こう」なんて前向きな気持ちは存在しなかったはずだけど...
それを機に何故だか一つずつ増えてきた。
「種目」に数えられないような...「注意しているところ」...といった努力点のようなものもある。
あまりにも増えたので一日ではやりきれなくて...
「一週間で片づけるノルマ」としているモノも多い。
いわば「週におけるルーティーン」がある程度確立されてきている。
ので...
そこは...
こんな...怠け者の自分でも...
怠れなくなっている。
いや、人生の長さからしても...
20年前の”気づき”はおそらくラストチャンスだった。
そこで下りてきた細い蜘蛛の糸を自ら引きちぎるように”放棄”するならば...
もう血の海から脱出する機会は無いのだろうと...
勘違いで過ぎた人生を
一つずつやり直している毎日だ。
そんなルーティーンがある。
あまりにも増えすぎたので...
会員権も売り飛ばし、ゴルフという趣味も辞めてしまうほどに(笑)
だから...
ブログの更新もなかなかおぼつかない...
って...
単なる言い訳か?(笑)