小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

言い訳dethッ!

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「コレがあったから...」といううものではないのだろう...

多分...月日が経ってしまって...

「他人事」のようだから...

ドラマの端役のように「自分」を見られるようになってきた...

んだと思っている。

 

順番は別として...

遊びに溺れ、女に溺れ、タバコに溺れ、酒に溺れ、パチンコに溺れ、麻雀に溺れ...

親に甘え、友人に甘え、社会に甘え...ていたくせに...

 

そのくせに...

思慮に足りず、考えるところに足りず、努力を怠っ...ていたくせに...

 

どうしてあれほどイキりたち...

人のせいにし、社会のせいにし、政治のせいにし、親のせいにし、大人のせいにし...

どうして...

「自分のせい」にはしなかった?

 

...いや...知っていたはず。

見えていたはず。

 

ただ...「自分のせい」にした途端...

「巨大な(本当は普通なんだろうけど...)”努力の壁”が目の前に現れて...

とてもじゃないが怠け者の自分じゃ対処出来ないだろうと...

 

逃げてきたんだろ?

 

自分だけでも...

変わりましょう

努力しましょう

反省しましょう

なんてチャンスは山ほどあったはずなのに...

 

こすっからく、要領よく、そこをすっ飛ばした。

 

あはれだ。

泣いていない。

むしろ笑える。

あまりにもあはれで。

 

悲しんでもいない。

呆れている。

あまりにも愚かで。

 

ドラマのように”一瞬で気が付く場面”になんて現実世界じゃ遭遇しない。

「俺...なんか...オカシいんじゃないか?」

”気づき?”とでも言うのだろうか?

そんなところに妙に敏感になってきて...

誤魔化しきれない”わだかまり”のようなモノが堆積して...

自分が...

なんだか気持ち悪~い生き物であることを否定出来なくなった時から...

 

「変わりたい」

 

ってな気持ちが生れるんじゃないだろうか?

 

生れて初めて思ったのは...約40年前。

失敗した。

若過ぎた。

あまりにも「自分本位」過ぎた。

それじゃあ「変わる」のではなく、「自分の都合の良い自分」にますますなっただけだった。

 

次に訪れたのは約20年前。

少しは大人になったので...あえて急がないようにした。

完成形も追わないように意識している。

「やれるところまで」でいい...

失う以上の早さで身に付けられる道理はない。

 

最初に始めたのはジョギング。

たわいもない努力だ。

 

「走ること」を続けることさえ苦痛だったので、「増やして行こう」なんて前向きな気持ちは存在しなかったはずだけど...

それを機に何故だか一つずつ増えてきた。

 

「種目」に数えられないような...「注意しているところ」...といった努力点のようなものもある。

あまりにも増えたので一日ではやりきれなくて...

「一週間で片づけるノルマ」としているモノも多い。

 

いわば「週におけるルーティーン」がある程度確立されてきている。

ので...

そこは...

こんな...怠け者の自分でも...

怠れなくなっている。

 

いや、人生の長さからしても...

20年前の”気づき”はおそらくラストチャンスだった。

そこで下りてきた細い蜘蛛の糸を自ら引きちぎるように”放棄”するならば...

もう血の海から脱出する機会は無いのだろうと...

勘違いで過ぎた人生を

一つずつやり直している毎日だ。

 

そんなルーティーンがある。

あまりにも増えすぎたので...

会員権も売り飛ばし、ゴルフという趣味も辞めてしまうほどに(笑)

 

だから...

ブログの更新もなかなかおぼつかない...

って...

単なる言い訳か?(笑)