案外忙しいのでついつい”間”が空いてしまう...
小説家を目指したこともなければ、読書感想文を書くことさえ嫌だったぐらいだから...
こうして文章を書いていること自体おかしいんだが...
いわゆる「表現の自由」ってのをお借りするなら...
誰が、どんな目的で、どのような文章を、書いていても良いわけで...
それはやっぱり音楽や美術にも通じるところがあるのだとすれば...
「なるほど」
とは思う。
が、「自由」となるなら...
「書かなくてはならないもの」
でもないし、ましてやお金を払ってまでも期待される文章でもないのなら...
生活を犠牲にしてまで書くこたぁないだろうと...
ノンビリやっているんだけども...
どうせ書くなら...
せめて「自分のお役に」立てるものにはならないかな?と...
これでも考えて...
あんまり役に立たないことは書かないようにしているから...
ついつい間が空いてしまう。
というのはある。
つまり...
「書いていない時の方」が
「案外気を付けて生きている」。
おしゃべり同様、
調子に乗ってきたり
気が弱ると
ついつい口が滑る、いや筆が滑る。
聞いてもらいたから。
吐き出したいから。
たわいもない程度のことならいいんだけれども...
「口に出さない方がいい」
ってことは少なくないように...思っている。
悪口や、僻みや、恨みや、嫉妬や、弱音などはもちろんなんだけれども...
目標や、計画や、意気込みや、執念だって...心の奥底にしまっておいた方が良い場合は多いぐらいだと思う。
まさしく...
公言したことによって...
気が楽になる=力が抜けてしまう
からだ。
見ず知らずの人にだから一見構わないようなもんだけれども...
安きに流れた自分を「自分は見ている」
吐いてしまったのは...実現出来ない時の”言い訳”の前説だ。
つまり...吐いてしまった時点で...自ら”自信”を消失させている。
弱音や嘆きや愚痴の一切がいけないものではないのだろうけど...
「気軽に吐いてしまったこと」
がさあ...自分のためになるのだろうかということ。
それが習慣になってもしまうなら...
”本音”という包装紙に包んだ”弱音”の垂れ流し...
ってなことにも無意識のうちになってんじゃ、いや、自ら「してんじゃ」ないのかな?
というところ...
極端な例が登場した。
本当の原因はどうだかなんて知るはずもない。
が、これまで伝え聞くところによれば
山口君も瀬戸君も
様々なストレスを抱え、発散したくてたまらな...のはわかる。
が、「~のしてしまったこと」...
は...「ついつい書いてしまったこと」
とさほど動機が遠くはないように思えるのだ。
「いやいや書くことで納めているならば...誰も傷つけていないんだし...」
ってそうかな?
少なくとも「後々の自分」を傷つけていたりしないのかな?