小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

またまた神の思し召し

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才能もない。

大志も持たない。

道徳観も薄い...

 

となれば、なんだか毎日フラフラとクラゲのように彷徨っているのかといえば...

そうではない...とは思う。

 

こんな自分でも規範としていることがあるからだ。

 

他にもあるかもしれないけれども今思い出すのは主に二つ。

「神の思し召し」と「バチが当たる」。

 

あまりにもの常套手段なので、すぐに頭に浮かぶ。

ひょっとしたらば”誤った機会”にも流用しているのかもしれないけれども...

まあ別段人様に強要するような指針でもないので、自分の人生自分で責任取れる範囲の間違いは良しとして。

 

囁くのは...主に「もう一人の自分」だ。

結局”自分”なのだから「思い通り」のはずなんだが...

ここに「冷静さ」が必要だとは思っている。

 

なのであまりにも自分に都合の良い解釈ばかり続けていると...

それは「神の思し召し」ではなかった...ことのように...成功や幸運には導かれない。

 

特定の宗教には惹かれない。

むしろエネルギー理論なのだ。自分的には。

良質のエネルギーは良質のエネルギーを引き寄せる。

だから事が上手く運ぶ。

多少のアクシデントがあっても挽回出来る。

その方向に背中を押してくれるのが...

 

「神の思し召し」

 

言うなれば私は...「神の思し召し」信者。

 

人に責任なすりつけているようでそうではない。

神の思し召しの声は「自分」なのだから。

 

東京オリンピックはどうにも「神の思し召し」ではなさそうだ。

もともとなかったのかどうなのか他の人がやろうとしていることなので知らないが...

ハタから見ているとあまりにも無理が多い。

それこそ何度も神様が...

「やめておけ」

と囁いているように思う。

 

それぞれのご事情なんて下人の私にゃわからない。

 

ただ...「もうやめておけ...」

そんな機会の経験をこの国はしてきているはずなのに...

 

長くなった...

「バチが当たる」

はまた、別の機会にでも...