小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

自分で向かっているようなもの

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地位の高い人を妬んでいるわけじゃない。

逆...地位が低いには低いなりの理由があると思っている。

毎度言うように、決して”自虐的”とか”謙遜”なんかじゃなく...

”現実”として。

 

私が「下人」ということは...

私が育った家庭も「下人」の地位だ。

 

「現実」よりも、妄想、虚言を頼りに生きる。

よって自分に都合の良い「自己肯定」「自己満足」に安住する。

 

父親も母親もそうだった。

そして私もそうだったように弟もそうだった。

つまり...家族一体が「そうだった」。

ちなみに...父親方の実家も母親方の実家もそうだった。

 

よほどにか強いDNAがあるのだろう。

 

「夢想癖」とでも言えばいいのか?

吉本新喜劇のコントじゃないけれども...

散々殴られている”現状”があるのに...

「負けていないんだよ」...だ。

 

それは...「気持ちでは負けていない」...のとは違う。

「嫌な現実から目を背けた姿勢」だ。

 

「気持ちで負けないこと」が不要とは言わないが...

気持ちじゃ出血は止められない。

そういう意味では「気持ち」は「まやかし」となる場合は少なくない。

 

「気持ち」で「我慢」し、実際の処置は「怠る」ならば...

あっちからも、こっちからも出血するような事態になって...

「負けてはいないんだよ」...

は...「死」にさえ到達する。

 

結果...「気持だけ」の手当で修復したつもりは「何もしない先送り」と同じこと。

 

だからか...

父方の親族もやがて解散。

母方の親族もやがて解散。

こんな親戚一同ってあるの?

 

法事をやっても現在のわが一家と父母しか集まらなくなっている状況は...

それを表している。

 

「現実を見ないようにするから痛みを感じなくて済む」

んじゃない。

それは...「滅亡や衰退につながるサインを見て見ぬフリする」ということなのだ。

 

そして...自ら低位に赴くような行為になる。