コロナ渦となってから...
「先が見えない」
とよく聞くようになった。
正直...皆さん...
そんなにも「先」が見えていたのか、と、少し驚きだった。
そしてある意味...「やっぱりな」...と奇妙な納得もあった。
「コロナの前」というよりも...
まあ近いところで言えばリーマンショックからでもいい。
リーマンショックの頃は、やっぱり”今”と同じように...
”世紀の”とか”未曽有の”とか装飾されていた。
それぐらいの”惨事”だと宣伝していた。
現実にそれぐらいの”惨事”だった自分は...
多分”心”は改めてはいなかっただろうけど...”行動”は改めた。
改めざるをえなかった。
30年前のバブルの崩壊から...「失われた10年」を体験し...「失われた20年」があって...
の上の未曽有のリーマンショックなら...
「これまでと同じ行動じゃ通用しないどころから...浮かれていちゃあ絶対に駄目だろ」ぐらいの戒めが頻繁に顔を出してきたから。
ところが日が経つにつれ...ショックは和らぐものなのか?
「今年の海外旅行はどうしょうね?」「来週のゴルフは?」「パーティは?」「宴会は?」...
今の風潮に賛同するものではないけれども...金が無いとされる若者でさえ...コンパに、キャバクラに、ホストだと...
皆さん随分余裕なんだねと...
いや、その30年前以上の時代に若者だった自分も、それどころじゃないほどに遊んでいたので非難しているわけじゃない。
むしろ...羨ましがっている。
自分がそこまで遊べなくなったのは...「歳のせい」じゃない。
遊びに必要な「金と暇がない」...ことが”わかった”からだ。
だから...「心の余裕」も沸かなくなった...のだと思う。
このブログにもよく書いてきたが...
それは誰のせいでもない。
自分は明らかに人生をナメ、失敗をした部類であり、自分のせいで今に至っていると観念している。
だから...人様に比べて余裕を持って遊べない身分に居ることも...仕方のないことだと観念している。
「緊箍児」とはそういうこと。
怠け心やズルい気持ちやあまりにもハメを外して遊びたくなると...
ギューっと頭を締め付けられる...かのように...しているわけだ(笑)