小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

尊敬(笑)

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父親は...

一体何に怯えていたのか?

何故にいつも急いでいなきゃいけなかったのか?

どうしてそんなにも「すぐに」だったのか?

落ち着いていた...様がなかった。

 

それはもう...挙動不審にも近く...

なんだか何処にいても、どの場面でも、頻繁に...「落ち着いていない」...

つまりは...「焦っていた」ように見えた。

それはもう...それが「平常モード」でもあるかのように...

 

に加えて...何故にあんなにも怒りっぽかったのか?

そのくせ何故に急に怯えてしまうのか?

そのスイッチもわからなかった。

 

ご自分じゃ...その様を...「感情豊か」と称していたけれども...

喜怒哀楽の”波”は常人モードを超えていて...ある種の「興奮モードにある」と言うしかなかった。

喜んでいても、怒っていても、哀しんでいても、楽しんでいても。

 

毎度度が過ぎている。

そう...どんな感情の時にも...焦っている...かのように。

立ち止まって...

「我に帰る」ということは...なかったんだろうか?

自分を「疑ってみる」ということも考えなかったんだろうか。

 

父親は...根拠も持たない多分...何らかの”畏れ”から...そしてそれへの意味不明な焦りから...

頻繁にイラつき、余計に不安を増幅させ、冷静な判断を失って...

「多くの失敗」を招いていたように見えた。

 

なのに、その結果からの反省は...いつも

「人のせい」

だった。

 

自分の母親のせい。

女房のせい(私のお袋)。

私のせい(子供のせい)。

親戚のせい。

兄弟のせい。

友達のせい(それって友達?)。

近所の人のせい。

お客のせい。

銀行のせい。

役人のせい。

政治家のせい。

ならば...世の中のせい。

そして...父親(祖父)が早くに死んでしまったせい。

 

こんなにも多くの人のせいであっても...自分のせい...ではないらしい。

 

小学校の2年ぐらいだったっけ。

風呂に入る前に弟と狂っていたらば...

酔っぱらった親父に「いつまで風呂に入らず遊んどるんじゃー。コッチが冷えちまうだろがー」と狂ったように殴られた。

 

今ならDVって言ってもらえるんだろうか?

時代なのか?

環境なのか?

そんなの近所で日常茶飯事の出来事だったので、復讐心すら起きなかったけど...

 

尊敬なんて言葉は...早くに消えた

 

そんな自分は大人達によく非難された。

特に同類と思われた教師への尊敬の念も同時に早くに消えたから余計にか。

 

ただ...それから月日が経ち...彼らの行いや道徳や上下観念は精算される時が次々と来ている。

 

私が断罪する必要もない。

やっぱり神はちゃんと見ている。

 

それだけ多くのせいにするならば、多くのところからの信頼も失うのだろう。

本当は...栄光の主人公になりたくて...

「実力あるんですよ」

「失敗しないんですよ」

の恥隠しのための「せい」だったのに...

 

返り血のように「信頼を失った」んだろう。

 

人のフリ見てわがフリ見直さなければ....