少し...くだらない図を描いてみた。
大谷君が高校生の時に描いたマンダラチャートとのレベルの違いが...我ながらも...恐ろしい...
が、こんな程度ということだ(笑)
自分にとってはわかりやすい。
本来は「これが自然」だとも思う。(思いたい)
しかしながら...人類はコンピューターを生み出してしまった以上、そこがどうしても基準を引っ張り上げて行く。
都心の電車のダイヤや本数を見れば一目瞭然。
良いも悪いもかつてなら、実現出来なかったレベルになり、でもそのおかげで大量輸送が間に合っている。
その恩恵に授かっている人も多い。
ある意味...それらに「従わざるをえない」現実がある。
すれば自分だけが「ゆったり」というわがままも許されない。
なので...あくまでも人に見せない「心の持ちよう」と...いうことにはなると思う。
ただ...それだけでも...意識するかしないか?
いやさ、大切に考えるか否か
で、考え方、行動の仕方、すなわち”選択の仕方”には大きく影響するん...じゃないかと...
自分はこれまで正直
右半分
の人生を生きてきたと思う。
明るきゃ「調子に乗り過ぎて」暗きゃ毎度毎度「イラつき過ぎて」
どっちにしたところでマシなもんじゃない。
でも、哀しいほどに「当たっている」。
そして...否定する父親と同レベルではないと思いたいが...”同じ”性質だ。
いやさ、仕方のないこともあるんだろうけど...
どちらの状況にしたって言えるのは...
感情が「視野を狭めている」ということ。
違う言い方をするならば...
「周囲が見えなくなっている」
「何処に向かっているのかわからなくなっている」
もっと言うなら
「自分が今、どのあたりに立っているのかわからなくなっている」だ。
下のイラつき状態も良くないが、その時は周囲の顔色も変わっているのでまだ気が付きやすい。
むしろ上の段の調子に乗っている状態が...結果を出しているだけに最悪だろう。
完全に”はき違えてしまっていても”「気が付かないでいる」と...
たしかに、大怪我した時は、毎度そういった状況...だった気がする。
急ぐことが社会のペースとして必要とされても、だ。
やっぱり”焦り”までは生まないように...自分でコントロールするしかない。
自分の場合は...
たしかに夢中になると...
音楽も聴かなくなるし、景色なんて見もしなくなる。
そう。
"自分の声"しか聴かないのだ。
そりゃあ視界も何もあったもんじゃない(笑)はず。