小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

ターニングポイント

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このブログには自分に対する”反省”やら”戒め”やらを書くことが多いので...

"生まれた時から"殊勝な性格のように思われている方も居るかもしれないが...全く違う。

 


もともとに....

”反省”したり、”戒めて”「自分を変える」ひいては「自分を育ててゆく」という発想なんか全く持たなかった。

何もかも出来たわけじゃないが....「まあ、これで大体十分」だといつも思っていた。

 


いや、当然に”全てに”満足していたわけじゃない。

が、”自分に対して”はそう思っていた。

 


ということは....

そう、「上手く行かなかった時」...悪いのは...全て...周りのせい、他人のせい、環境のせい、育ちのせい....ともかく....”自分以外のせい”にしていたということなんだろう。

そしてもっと残念なのは....そういうシステムで思考していることにすら気が付かなかったことだ。

 


大人達にそれを指摘されたことは少なくなかったと思う。

さすが大人だ。

が、在る程度の結果は残してしまうので、人の評価はともかく、人並み以上にやれてんだから、上等だろ、で終わっていた。

ものすごくシンプルでちっぽけな自惚れ。

ちっぽけなので....逆に言えばありとあらゆることに自惚れていられる。

不幸なことに欲も深くなかったので.....大体において...十分ということになる。

なら...自分への反省も戒めも...出てくるはずがない。

 


それで....大体19年ほど前まで無難にそこそこやってきた。

運も良かった(いや、悪かったと見るべきなんだけど...)んだろう。

が、何か大きな出来事があったわけじゃないんだが....ザックリ19年ほど前から、いろいろな事に気がつかされるようになってきた。

自分が出来ていると思っていたことが実は大して出来ている程度ではなかったことや...

自分がわかっていると思っていたことが全然わかっていないレベルだったことや...

何が...というほど大袈裟なものではないんだが(どっちでもいいようなことで...)小さな「思い知る」がいくつも連続してきた。

安物のペンキできれいに装っていたものが、耐久年限を超えて次々と剥げ落ちる様だった。

 


ターニングポイントというのは一瞬であったり点であったりするのかもしれないが....

変化するのは急激にはならないと思う。。

なんせ”それまでの”惰性がついている。

自分の中に抵抗勢力も居る。

変るのはじわじわと...だ。

 


アホなので、改心を忘れてしまうことすらあるぐらいだ。

すればもっと時間はかかる。

そうして19年ほど生きてきたが....オセロゲームで言うなら、7年ほど前に角を取られたのだろうか?

それ以降は次々とひっくり返される毎日だったりする。

 


”発見”と言えば”発見”で、

あの時も自分の判断が間違っていたのか?

この時もそうだったのか?

これも、あれも、それも....

 


そして....それは今も続いている。

結局は....

全部自分が間違っていたんじゃねえのか.....

ぐらいになっている。

そうじゃなかったとしてもそう考えた方が早いだろ、ぐらいにはなっている。

過去の失敗や過去の過ちを思い出した時には、それが全部自分のせいだと論破できるほどになっている。

 


そう、かつてのターニングポイントの直前・直後には大きな差では多分なかったんだろうけど...

ターニングポイントの20年前と20年後ぐらいになれば、大きな差にはなっているんだと思う。