小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

因果応報

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今の自分を”苦しめるモノ”がどうして自分の日常にあるのかと考えれば....

”全て”と言って良いほど自分が引き寄せたものばかりだ。

 


意外なほどに誰かが押し付けたものは多くない。

多分、「嫌だ」と断ってきたのだろう。

つまり...自分が望んでショイ込んだものを持て余すようになっているということ。

 


顕著なのが庭。

大体50坪はあるだろうか?

広さだけ見るならば、裕福な家庭に見えそうだが、そうではない。

一般的な都市部に住んだなら、これほどの庭が持てたはずがない。

かなり遠い郊外だから持てただけ。

それゆえに毎日は不便だ。

 


が、都心生まれの自分は緑や静穏に憧れていた。

”夢”だったかもしれない。

それを一生賭けて手に入れた....

張り切って....手に入れていた...

つもり...だった。

 


「庭なんてお金が無いと面倒見切れないよ」と何人もにも言われていた。

よって....金が無いので、整地から土工から排水まで全部自分で造作した。

芝貼りも70本もの木も全部自分で植えた。

当然に庭が平面じゃない。

なので芝刈り機が使えなかったりもする。

それをもう何十年も面倒見ている。

庭師なんて頼めないので。

 


木も大きくなった。

頻繁に剪定が必要だ。

3月から11月までは必ず毎週草取りだ。

 


夏の炎天下では何度も熱中症になった。

家族は理解もしない。

手伝うこともない。

子供が自由に遊べるために...広い庭にしたというのに....

誰も遊ばなくなってしまえば、出てくることも、見ることもない。

そこを毎週手入れしている。

 


正直....こんなことなら....

庭がなくても、便利な都心部の方が良かった。

と何度思ったことか。

 


「いやいや、それは手に入れたから言える贅沢さですよ」と言われたりする。

貴重な時間を虫に刺され、熱中症になり、真っ黒に日焼けしてみるならば、そうは言えない気もするが....

 


が、この庭を手に入れたのも、誰に頼まれたわけでもない。

自分が欲しがったのだ。

便利な都心より、広い庭が欲しかったのだ。

かつての自分はそうだったのだ。

 


庭だけじゃない。

良かれと思った決断が報いを招いていることが本当に多い。

それが....一事が万事とも言えるほどに。

 


自分の能力も省みず、自分の将来もよくよく考えず、短絡的な衝動で、決断してきたことの

報いが年々自分にのしかかっている。

 


こういうのを因果応報というんだろう。

3月から11月の庭仕事のハイシーズン。

這いつくばって、

草を抜き始めると、

枝を切り始めては、

誰に当り散らして良いのかわからないほどにイラついている。

 


が、一日分が終了しそうな頃には....

少し落ち着いて....

誰も悪くないんだと、

自分に言い聞かせている。

 


そして淡々と考える。

他の者は誰も庭の面倒を見ようとは思わないようだ。

ということは多分、自分がこの庭の面倒を見られなくなった時、この庭とともにこの世とのおさらばになるんだろう。

つまり....死ぬまで因果応報とお付き合いしなければならない様である。

過去の自分の願望がいかに短絡的で軽率なものであったかを死ぬまで毎週思い知らされるわけだ。

 


まさしく因果応報なのかと思う。