小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

遊んでいる自分を誰も必要としてくれない

 

 

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そう思うと....

お金を稼ぐ元となる「仕事」というものについての考え方も見方も変わってくる。

 


あれだけ嫌だった、苦しかった仕事でも

「お金がもらえる」

ってだけで、なんだか輝いて見えてくる。

 


あまりにもダイレクトなんだけれども

ひょっとしたらば....長年模索してきた”仕事の面白み”って....

”お金を稼ぐ面白み”ってことだったのかとも思えてくる。

生まれて初めて、しかも終わりがけになってようやく、

 


気持ちが遊びから随分と離れてしまったのも

「遊びじゃお金にならない」というか....

当たり前だけど、自分の程度じゃ(遊びに)どれだけ一生懸命になったところで誰もお金を払ってくれないというところ。

わかりやすく言うなら、自分の遊びのレベルは

「金を払ってまでも見たくない、知りたくない、聞きたくもない」レベルだということ。

それは普通....「需要が無い」と言われる。

つまり....自分が遊んでいることは....社会において....「必要とはされていない」ということ.....

つまり....誰の満足にもつながらない....単なる”自己満足”でしかない。ということ。

 


な~んだ。

需要がないどころか、自分以外の誰も喜びもしないのかって(笑)

”その虚しさ”が見えてしまったからこそ....

急速に遊びから熱が冷めてしまったのかもしれない。

 


その点

仮に最低賃金の仕事であったとしても....

それは最低であっても、その金額における需要や必要性があるという具体的かつ現実的な証であって....

「お金を払ってまでも必要としてもらえる」ってことだ。

結構高度なテクニックを持っていると自負していた俺の遊びは....

それにすら及ばないということ(哀)

 


こんなことは理屈としてはイチイチ考える必要もないんだろうけど....

改めて考えてみると凄いことだ。

俺のチンケな仕事ですら....

見ず知らずの人まで「お金を払ってまで頼みに来る」のだから....