小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

戒め九番の一 底辺編

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”戒め”とは少し違うかもしれない。

”心得”とでも言うべきか?

 

「どうせ俺は底辺ですよ」....とスネている。ということじゃない。

 

現実の場面では、”底辺”の基準、用い方等いろいろな誤解を受けるので宣言はしないんだが....

あくまで”自分という範囲の中”での底辺だ。

一言で自分にわかりやすいので使っているだけ。

 

...この手の話になると....

「いや、そうじゃない。私の見てきた人生じゃあアナタなんて恵まれた方で......底辺というのはねぇ....」

という”社会の水準を教えてやろう系”が登場し、面倒臭くもなりがちなんだが....

「貴方が知っている多くのことは普通は皆知っているけど知らないフリして謙虚に生きている」ことすら知らないのね、それでよく説教できるもんだ.....

と思うようにはしている。

1年、2年....1度や2度話したぐらいで「わかったつもり」になれる怪物具合の方がが恐ろしい(笑)

 

....の上での”底辺”。

 


自分は底辺で良い。

その証拠に見事なほどに地位も名誉もない。

これからどのような生き様にしようとも

どのような環境になろうとも

表彰されるような人生にもならないだろうし、賞賛されるような人生にもならないだろうから

残念だけども底辺ってことにしておいた方が早いだろうと思っている。

いやさ、じゃあ底辺じゃないというなら....

「誰かの上」にでも居ると思っているってことなのか?と。

 

これでもかつては「下に見られる」ことが相当に嫌だった。

いや。むしろ実際の実力だとか順位よりも上に見られたがった。

そんな「人の目」「人の評価」にけっこうこだわった。

 

だから武勇伝はよくわかる。

そのプレゼン作業なのだ。

本来の順位や実力や能力よりも「高い位置」で見てもらいたいのだ。

プライド?

なんだろう?

どういう精神構造なんだろう?

 

よくわからないんだが....

もう、そういうの、やめ。

 

そういうこと。

何か特別なことがあったわけじゃないと思うけれど....

いろいろあって、よくわからないそんなもののために

何を姑息な工夫やみみっちい努力を重ねているんだと。

 

それは無駄な時間って言うんじゃないかと。