多分....これが、コンプレックス....という奴なんだと思う。
「反抗期がやたら長いな」と思っていたのはそうではなく....
教えられてきた”栄光の出自”と、次々と露わになる”事実”とのギャップに
「初めっから正直なところ言っておいてくれればよかったのに....」
ってなことで、失望感が余計に大きくなったんだと思う。
なんせ、してきたこととの辻褄も合わなくなってしまったし.....
そして....親を切り離してまで....
「”呪われてんじゃないのか?”ぐらいの出自や家柄や血縁は俺の代で払しょくしてやるぜ」と。
ノシ上がろうとしてきたんだけれども.....
それは....ポジティブな向上心などではなく、「見下されたくはない」心の裏返しだったということ。
プライドなんていう高貴な心情ではなく、コンプレックスという捻くれた醜い根性の表れだったということ。
どおりで。
若い頃から金も無いくせに....ロクな仕事もしていないくせに.....どこから集めてきたものなのか知らないが、
泊まるなら一流旅館、食うなら一流レストランと....
名だたるホテルや旅館に訪れて、あえて土産物を買い、さも「こんなところを日常で利用しているんですよ」とばかりにご丁寧にも報告して回っていたオレの親父は....
おそらく憎しみにも近いような”コンプレックス”を大事にしていたんだろう。
あたかもそれを”プライド”と勘違いして。
そして....そんな彼の架空の自慢話を子守唄のように聞いて育ったオレは....
DNAのみならず、脳内でもコンプレックスを見事に引き継いでいたんだろう。
大したことも出来ないくせに。
大した実績もないくせに。
「そうは見られたくない」意識ばかりが強烈だったと思う。
それは「負けず嫌い」のように教えられてきたが....
全く違うと思う。
ある程度”出来るのに”負けてしまうのを嫌がるなら、「負けず嫌い」と言っても良いのかもしれないけれども....
”出来ないこと”まで「負けたくない」のはもう、心がもう心が歪んでいる。
自分には「出来ないことはない」と叫んでいるようなものだ。
が、......そんな志も半ばで....自分の能力も「下り坂」に入っていったと承知することになった。
良いも悪いもない。
すれば怨念が消えるように.....コンプレックスからのくだらない見栄に尽力するぐらいなら....
「底辺でクズ」でもういいかな?と。
どのみちそれに「下り坂」までプラスされるんだ。
今更言うのも何なんだけど....「どう見られているか?」よりも「実際にどう生きているのか?」の方が重要だ。
そうしたら....自分でもびっくりするほどに肩の荷が下りたということ。
”出来ないこと”にコンプレックスを抱くなら....
「下り坂」に入った人生なんて....
コンプレックスだらけになってしまう(笑)
なら、「底辺でクズ」を超えてしまっているじゃないのと。
少し笑えてしまっているということ。
いやいやあえてみすぼらしい格好をしようとは思わないけれども。
もう...人からの評価を.....期待していること自体が落語のように滑稽な年齢にもなってきたわけだ。
だからかえって昔が浮き彫りになる。
どうして「実力よりも良く思われたかった」のか....
そう思われないとどうして腹が立ったのか....
周囲はむしろ”正確に”評価していただけだったのに。
自分の願望評価を人様に強要していたようなものだ。
あつかましいにもほどがある。
.....のように下り坂だからこそわかるようになっていくこともあるんじゃなかろうか?