小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

断捨離にはほど遠い...

 

 

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以前、”贖罪”か何かのところで書いたかもしれない。

当たり前と言えば当たり前のことなんだけれども....

「過去の自分の探究」だとか

「自分の短所の発見」とか....

そんな面倒臭いことをイチイチ探らなくても....

「今現在の身の回り」そのものに、自分の”反省点”なんていくらでも凝縮されている。

 


”これまで”の自分には何の間違いもなく、”今”の姿とて十二分にも容認出来るどころか、十分に満足している....

のであれば、いらないお節介も無用だろう。

満足し続けていつの日か幸せな死を迎えてもらえばいいだけのこと。

 


いや、そこまでじゃあない。

が、やっぱり自分を責めたくもない、褒めてやりたい部分もある。

という人も.....それなりの対処でいいだろう。

個人の生き様の問題だ。

 


しかし.....

自分はどうも気持ち悪いのだ。

"今の身の回り"が。

 


”不満”じゃない。

もともと”自分が”望んで手に入れたものだ。

なのに.....「どうして使っていない?」

 


同じ場面でしか使えないようなモノが2つも3つもあったりする。

何年に一度ぐらいしか登場させないモノなのに....

で、片方が使わず錆てしまったりするならば.....

捨てる時に...「何のために買った?」って....

そりゃあ思うだろう。

 


大型ワンボックスカーがまだ流行する前ぐらいに所有していた。

荷物満載で家族や友人と出かけるアウトドアレジャーにも不自由しないように、と。

仕事、仕事、仕事で、じゃあどれだけアウトドアレジャーに行けたのか?と。

その時だけのレンタカーで十分だったんじゃないだろうか?

普段は「一人」だ。

「一人」でバスのような車を運転し、スッカスカの座席を無駄なガソリンで引っ張っていた。

そんな光景は.....

購入前にも頭を冷やしていれば....容易に想像出来ただろうに.....

なのに....「どうして買った?」

 

 

このように.....

自分には断捨離を語る資格がないどころか.....

「冷静な買い物が出来ていなかった」

もしくは

「買う際に冷静な未来が見えていなかった」

証拠に囲まれて生活している毎日だ。

 


さすがに....「もうたくさんだ」と買い物はしなくなったが....

「どうすんだ」これらの所有物は.....