逆転の日は...
「ついに親父から解放された」
と、当時は思っていた。
ささやかな”独立記念日”のようなものも感じていたし...
が、今にして思うなら....
あたかもスターウォーズのような話で....
新たなるダースベイダーが誕生した”瞬間”だったのかもしれない。
”愛情”にしろ、”憎しみ”にしろ、”意識”の現れだ。
「何も感じない次元」には生まれない。
嫌悪感を抱いているはずなのに....
はたまた”環境のせい”にしてちゃいけないんだろうけど....
やっぱりそれが「当たり前」として育ってきた感覚には恐ろしいものがある。
「真面目じゃない」のだ。
自分自身は「真面目」なつもりであっても。
世間様の”真面目”と自分の考える”真面目”は完全にズレているのだ。
なのに...
軽蔑する父親と自分の考える”真面目”はそんなにもかけ離れたものではないのだ。
多分....
これぞDNAの成せる業なんだろう。
というか....
自分の”真面目”には甘く、人が”真面目”かどうか....のハードルはえらく高い。
そう言った方がわかりやすいだろうか....
優しさ、努力、悩み、苦労.....
様々なお荷物が、自分には大袈裟なほどにお荷物、苦労、だから自分は大変....であるのに、人様を考える際には....「そんなことぐらいで」とタカをくくるのだ。
ナメている。
そして....「人とは違う」
....哀しいぐらいに親父に似ている自意識だ。
言っているほど実は自信なんてありゃしない。
逆だ。
自信がないから.....
他人を「見下していたい」のだ。
自分を特別なものに崇め、他人を見下していないと.....
「安心できない」のだ。
何かの瞬間には即座に逆転されて「見下され」かねないので。
虚勢や自慢、武勇伝?
本当に自信のある人間にはそんなの要らない。
承認欲求なんてもある意味危険信号で、その入り口かもしれない。
早いうちにやがて「見下されないような」虚勢を張る。
予防線を敷く、とも言い換えられるだろう。
いろいろなところで、あちこちに、「見下されないような」種を撒く。
逆転の日は....
なんのことはない、姑息なダースベイダー2世を倒した、もっと姑息なダースベイダー3世が誕生した日だったかもしれない。