小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

戒め二番の一  天狗倶楽部編

 

 

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「いだてん」の三島弥彦に毎週大笑いしている。

いや、正確に言えば大苦笑しているといったところか.....

 


”御曹司”と”イケメン”は共通項ではない。

が、実物はどうかは知らないが、生田斗真演じる三島弥彦は自分の若かりし頃に似ているところが少なくない。

もちろん「良い面」ではなく「悪い面」が。

 


良い時は....自信をもちやすく、調子にのりやすい。

が、ちょっと調子が悪くなっただけでもう持ちこたえられず....

毎度落ち込む。

 


それは...軽妙とは言わない。

身勝手な馬鹿なのだ。

そんなDNAを宿している俺も、俺の親父も。

 


自虐しているわけじゃない。

本当にそういう正体なのだ。

最近ようやくそれがわかった。

 


「勉強すれば出来るのね」

こう褒められた?ことが多かった。

違う言い方をするなら

「勉強してたら出来たのにね」だ。

 


「練習してたら出来たのにね」

「そういう環境にあったら東大行けたのにね」

「そういう家庭だったらオリンピックも出られたのにね」

 


たしかに....

ある程度の潜在能力を発見されたり、”良い部分の”片鱗だけをつまみとってもらえたりした時には

開花したであろう才能を評価されるものなのかもしれないが....

そんなものは....

「かもね」

という程度の確証のないものだということ。

 


そして.....「していたら」と言われるのは....現実としては「しない」というい方を選択したということ。

その選択眼がそもそもの「能力」なのだ。

 


イチローを見ればよーくわかる。

その先の「未来」に気づき、それを確信するから目の前の辛い、苦しい努力にも邁進できる。

が、自分のような凡人は、目の前の辛さや苦しさしか見えないので、未来への努力が....「出来ない」「続かない」。

それが「しない」選択をするということ。

 


もう一つある。

「やれば出来ていた」の反対語は

「やっても出来ない」だ。

自分の場合は多分コッチの原因の方が強い。

 


「やっても出来ない」姿を見られるぐらいなら....

仮想「やれば出来る」姿を見せておいた方が、「やれる人間」イメージを維持できるということ。

 


卑怯というか....姑息だ。

 


本当の意味では最初っから天狗ではなかったんだと思う。

が、仮想”天狗”を纏うことで....自信の無い自分を隠していたんだろう。

 


この点は「下り坂」に入ったと確信してからかなり楽になっている。

なんせ下り坂にある男なんで、今更「格好つけること」も、「出来る男を演じる」ことも必要ないからだ。