小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

永遠に手の届かないオーガスタ

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「自分の場合」などもう言うまでもないだろう。

接待ゴルフに至っては...もうゴルフじゃないというか...全くの別物。

ナイトクラブでのおしゃべりの方がむしろ近い。

 

友人同士のコースもしかり...

妙に真剣だったり、迷っていたりすると...鬱陶しがられるのが常。

夕焼けの光景にグリーン上でマッタリなんざしていた日には...”後ろ”が居たらば「打ち込まれたり」もする...

 

仲良しばかりで回れるわけでもない。

通じる話は誰にでもわかるようなワイドショーのようなくだらない話か?

そんな話で無理矢理盛り上げ...サッサとプレーを済ませて行く。

感動はおろか実はゴルフの醍醐味すら味わっていない。

 

へたくそなのでしょうがないけど...

誰も私のバーディに感動もしなければ、誰も私のボギーも残念がらない。

自宅に帰って自慢話でもしようものなら...

「自分はいいわね一日中好きなことして遊んで」となるのが...オチ。

 

憧れや理想は...一歩でも近づけてこそ。

タイガー・ウッズではなくても

松山でもなくても

オーガスタの舞台でなくても

”近いモノ”が味わえるのであれば、それでも十分なんだけれども...

 

私が体験出来るゴルフは...

”次元が違う”

どころではなく...

”全く違った別物”

だったということ...を理屈としてはわからなかったけれども...勘のようなもので気が付いて...

自ら離れていったんだろう...

 

不思議な違和感は不思議でもなんでもなく

当たり前の違和感だったんだなと

 

今は大いに笑えている。

 

ゴルフが労働者に向かないのは...

週に5日バッチリ働く緊張の戦場があるのに...つまりはそここそが「試合」であるのに...

残りの休日にまで「大いなる緊張感」って...

自分だけはどうにか頑張ったとしても...

他の3人は嫌がるだろ、普通(笑)

 

でも、その緊張の中に本来は「至宝の充実」があるスポーツなのだ。

 

ということなんで...

庶民には「向かない」スポーツになっているような気がする。

 

「メシ抜き午前中で回してもらえないかな?」

「キャディさんなんて要らない」

「グリーンに乗せたらどんどん打ってって、後が来ちゃうから」

 

そんなせせこましさは「本来のゴルフの愉しみ」を全てブチ壊しているんだけど...

そんなゴルフしか出来る余裕がないのだ。

働いて生活費を稼ぐ労働者には。

 

まあ一日かけて遊ぶことが無駄には思えない。

それでこそ楽しい。

そんな余裕のある人向けの、心の広い人向けの、時間のある人向けの、お金のある人向けの、レジャーだ。

 

現代の遊びなので、金出しゃ誰でもやるにはやれる。

が、独楽鼠のように働き、ゴムの木からのわずかな樹液を1本ずつ搾り取ることが日常の生業の自分には

精神的な違和感

が多すぎるんだろう。

 

ま、いいとこのお嬢さんに憧れちゃった...

ってところかな?

「見ているだけ」

が関の山

なのだ(笑)

 

それが虚しいと思うなら...

いっそ”やらない方”がいい。

そういうこと。