買い物を奨励しているわけでもないし、具体的な存在の”グッズ”に固執しているわけじゃない。
これも最近の例なんだけど...
やっぱりもっぱらカラダが”凝る”のだ。歳なので。
アチコチ痛い。
だから「トレーニングも休みがち」ってかほぼほぼ開店休業なので...「運動不足」にもなってきていたのだろう。
で、フト...
「そういや最近”背伸び”もしたことないな」となって...
寝起きに寝っころがったまんま、背伸びをしてみるなら...
これが案外気持ち良いではないか。
そして「おなかがぐるぐる鳴ったりもする」
やっぱり...
ほぐされていなかった...のか...
もはや「筋トレ」どころじゃないのだろう。
まずもって「自分のカラダが求めているところ」が。
「若さ」なんて張り切り過ぎて...そんなにも大袈裟に構えるから...
無理をし過ぎて「故障」したり「疲労」になったりを繰り返して...むしろ「快適」を遠ざけていたのかもしれない。
して、さらにはそんな「不快になること」を「やらなきゃ」「やらなきゃ」と責め立てていたから...
精神的にも「不快」になるよう自分で追い詰めていたような”努力”だったのだ。
とっくの昔にアスリートではなくなっている「おじいさん」にとっては「鍛えること」は「痛いだけの鞭」だったのか...と。
「赤鉛筆」同様...そんな次元のことよりも...
もっと簡単なこと、もっとやりやすいこと...例えば単なる「寝たままの背伸び」の方が...
「うんと気持ち良かった」
ってこと...を知って
もはや笑えるほどに呆れてもいる。
で...これはまだ最近気が付いたばかりのことなんだけど...そしたらば...不思議なことに...
筋トレもぼちぼちと再開するようになっているのだ。
この感覚はかつての自分には存在しなかった。
「掃除」なら「部屋全部」派だったから...
そこも「変えよう」としている。
「まずは机の中」から「引出し一つ」まででもいいから...
目標だけ大きくて「やりださない」よりも...
まずは「やり始める」だ。
なんなら「かばんの中」だけってこともある。
少しでもいい。
少しだけでもいい。
なんなら「たった一つ」でもいいのだ。
非常に大袈裟だけど...
「やらない」のと「やる」のとには
その後の人生に天文学的な「開き」があること...を体験してきた人間だから判断出来る。
と自負するようにしている。
偉そうに聞こえるかもしれないが...
案外「自分への鞭」なのだ。
歳を食うといろいろと面倒臭くなってくる。
毎日面倒臭いことがある。
すれば...「ま、やらなくてもいいか...」に陥りがちになるものなのだ。
ただでさえそうなのに...
「全部完遂しなきゃいけない」なんて勝手にハードル上げようものなら...
せっかくの「はじめの一歩」さえ、踏み出す機会を自らが奪ってしまうのだ。
そんなにも意志は強くないのだ。
こういうことに気が付いていたらなぁ...
若い頃あんなに暇してなかった...と思うんだけどなぁ...
ま、それこそ今更嘆いても仕方がないんだけど(笑)