またまた間隔が空いてしまった。
が、本人としては案外「あっという間」...
仕事を二つかけもちし、父親は介護ホーム、母親は一人暮らし、長女は二人目の孫を出産、次女は結婚を決めた。
「自分のこと」じゃないはず?のことも多いのだけれども...何故か役割が増えている。
ま、それもある面「有難いこと」だとは承知しているので,文句も言わずに...「あっと言う間」なのだ。
その方針は「それでいい」と思っている。
どのみち...愚痴や嫌みを吐いたところで...「やらなきゃいけないことはやらなきゃいけない」のだ。
また...先程「有難いこと」と書いたことだって...
この歳にもなれば、本当に、人生「人それぞれ」だということもわかってくる。
色々なことが...
「今更」
なのだ。
様々な「老人激励書」が出回っている。
先日も「何か参考にしようかな?」とウッカリ検索してみれば...
妙な宗教団体のものだったりした。
真面目に考えているからこその...「悩み」や「苦しみ」さえもが「金儲け」に利用される世の中であることも”現実”。
老人だからと言って「甘い油断」は許されない。
すれば「夢」だとか「希望」だとか「理想」が「どれだけほど遠いこと」かもよくわかろうもの。
何十年もかけてきた(サボってきた)「現実」が今なのであって、それが...今更たかだか2,3年程度の努力で...”逆転”なんて...有り得もしないことなのだ。
一旦の「ゴール」を済ませて3年が過ぎた。
ようやく...「少しまとまった期間」として振り返ることも出来る程度になったところ...
その感想は...今のところ...
「時代の変化」と「老化の進行」と「年齢を重ねたことによる環境の変化」が「思いのほかに激しい」ことだ。
カンタンに言ってしまうと...
「快適ではないこと」が激増してきているのだ。
「生きづらいこと」と言葉を変えてもハマるかもしれない。
そして...そりゃそうなのだ。
なんせ若い頃と比べてカラダの機能からして自由が少なくなっているのだから...
頻繁に疲労や故障を繰り返してきた原因の一つに
「体力づくりのためのトレーニング」があることも判明した。
若い頃なら、「この努力」は「カラダを丈夫にした」はずなのだ。
「一体いつの間に?」
それがカラダを蝕むようになったのだ?
同窓会の幹事なんかになっちまって...
「お久しぶりです。ついては...」と丁寧なお誘いをしたはずなのに...
「もう一生参加する気はないので連絡しないでください!」
とブチ切れられる。
別にコッチとて誘いたくて誘っているわけでもないのに...だ。
コンビニでもスーパーでも、少し前はけっこう「愛想良く」されたりもしたはずなんだが...
最近は「ともかく冷たい」
そんなにも汚らしくはしていない...はずなんだけど...
そう...毎日アッチコッチでうまく行かないのだ。
よーく思い出せば...うまく行っていないのだ。
そう...これが老人。
なんだか吉田拓郎の曲名のようだ。
あっ、それも老人...か...
有難いことに?...嫌なことばかりではない...とは思っている。
だから...「不幸」とは思わないけど...
「自由自在に溌溂と生きている」
にはほど遠いだろう...
そして...
「自由自在に溌溂と生きる」
ことはもう二度と出来ない...のだ。
この三年間はそれを「覚悟をする」ための期間だったようにも思えている。
でも...明るくもないが案外暗くもない。
仕方ないことだからだ。
「仕方ない」から”しか”進めないのだ。
その中で...
やれることをやろう
できることをやってみよう
そうすれば...
何もしないよりはマシかもね。だ。
溌溂はあり得ないけど...「少しは快適になるかもね」だ(笑)
といったところなのだ。
その覚悟が「ようやく見つかった」ってところか...