これでも案外「幸福」は追いかけていた。
何が幸福なのかはわかっちゃいなかったけれども...
クラーク先生の言う「大志」を目指すことには否定的でも「幸せ」にはあり付きたいと思っていた。
ゴージャスとまではいかないものの....”ゆとり”だったり”余裕”だったり”贅沢”...かな?
そういったところから「幸福感」は感じられるものじゃないか?となんとなく想定していた。
というところからも遊び狂っていたんだろう。
リゾートなんてまさに楽園で、「幸福に一番近い現実」だとおそらく認識していたように思われる。
「思われる」....というのは....自分が実際に体験してしまうまでは....ということ。
それが....全然「リゾートで」ではなかったということ。
勿論リゾートもいくつか体験いたしました。
それはそれで楽しかった...はず...なんだが....
竜宮城にでも居たんだろうか?
不思議なほどに今はその感情が残っていない。
いや、確かに何度か出かけた。
嘘じゃない。
が、「行った」という記憶があるだけの程度の感情で....
「幸せだったなぁ...」どころか、「楽しかったのかどうか?」さえあやふやだ。
解説することは難しくない。
自分の場合の幸福感は....意外なほどに....ゴージャスな体験からは届かなかったってことだ。
どころか....「大人の日常」にしちゃあダサ過ぎる....子供達とのダラダラとした戯れ...のような場面でやって来てしまった....
ということだ。
どうしてなのか?
なんてわかるはずもないし、考える必要もないだろう。
「”現実の結果”はそうだった」
ということで十分。
リゾートと大志を一緒にしちゃあいけないんだろうが...
どちらもある意味優秀、高尚、そして...ご立派だ。
が、そんなところに本当の感動なんてないのかもしれない。