小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

ポジティブシンキング

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多分自分の思考は無意識な消去法で...

幼い頃からずっと「大志」を抱けなかったのも...

「無数に湧いてくる”志”から”大志”のみを抽出する」

なんてことが出来なかったのだ。

天文的過ぎて...

 

消去法による思考は...

「ネガティブなもの」として扱われることが多い。

実際の思考イメージとしても...

「あれもダメだよなぁ、でも、これも駄目だろ、かといってこっちも...」

ってなカンジで...

「いつ決まるんだ!」とジレったい。

 

一方...ポジティブシンキングと言われるようなものは

「速球勝負」

のようなイメージもあって、潔さ、男らしさ(そう言っちゃいかんのか?今は)...

勢いや決心や決断力を感じさせるので...

「成功を導きやすい」

ように言われるんだが...

 

となると...

「失敗を嫌う」自分がポジティブシンキングを採用していないということは...

それを「信用していない」ということになるのだろう。

 

ここんところを掘り下げてしまうと非常にくどい話になりそうなので、省略するが...

そんなものは生い立ちやDNAに深く起因するものであって、選択して身に付いたものではないと思う。

 

ポジティブシンキングを広く日本に広めたのは恐らく...矢沢永吉じゃないかと思う。

当時は自分も影響を受けた。

それこそ...走り始める20年前までは

「成功者になるためにはポジティブシンキング派でなければならない」

ぐらいに思っていた。

 

バブル最高潮時代を独身時代のピークとして迎えていた年代だ。

ポジティブシンキング信者は私を含めて山ほど居り、賑やかしい酒場で、大いに武勇伝を語った。

 

走り始めて剥がれた鱗の一つに

「自分はポジティブシンキングではなかなかうまく行かないんじゃないか」

というのが出てきた。

 

まずは自分という問題よりも、社会が複雑化し、成長力が鈍り、下り坂と言われるように低迷期に入っていくと...

そこでの”積極策”ってのはどうしても裏目に出やすい。ってのもあるのだろう。

 

ITバブルなんてのもあるにはあったが...

「全員成功」

ではなく、かなりの脱落者、犠牲者も出した。

 

相当に優秀な人々だと感心させてもらっていたので...

「あれほどの人達でさえ...」

というのが大雑把な感想だ。

 

つなげれば...

「じゃあ、俺程度なんて...」

と...

「自信を喪失した」というよりも...

素直に”身の程”に気が付いたんだ、と思う。

 

人生初めて気が付いてみて...

憧れや物真似ではない自分なりの考え方をみつけるべきだ...

の一歩を踏み出すようになった。

 

ってところが意識的消去法思考の始まりだと思う。

 

そうなっていった自分を見て、旧友達は...

「まだそんな歳でもないのに、悟ったおじいさんかよ。」とか

「そんな控え目な考え方じゃあ乗り越えられる壁も乗り越えられんぞ。」やら

「有言実行だよ。言ってしまうから...やらなきゃならなくなって...結果が出せるんだって。」と

勇ましいことを言っていたんだが...

自分は落胆したり、失望したりというわけではなく

「自分には無理」という現実を知った”だけ”だったので...

「違うんだよな..」という雰囲気で、あまり聞く耳持たなくなっていった。

 

そして...その採点が出来るぐらい時は流れた。

勇敢な旧友たちの存在は...

 

ない。

 

ポジティブシンキングの勇者達の姿は見えなくなった。

どうしてかなんて知らない。

どこで何をしているのか知らない者も居る。

 

矢沢永吉だから出来ただけのこと。

自分ら程度が真似をしたって

そんな勇ましく恰好の良い方法で

成功するはずは...ないのだよ(笑)

 

自分には能力も根性も気力もないけど...

「現実の自分サイズ」を知って...

散々に足掻きまくって懸命に20年過ごしてみた。

らば...

それでも...こんなもん。

せいぜい...こんなもん。

でも後悔はないのだね(笑)

それは...

一生懸命かつ慎重に...やってきた上での...でこんなもん。だから。

「もう一度始めからやり直してみろ」

と言われても...「嫌だね」ぐらいに(笑)

 

ある意味...

「力の無い者の生き方」に変更していなければ...

「ドツボ」の人生になっていたと思う。