小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

自惚れ大

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最近”はてな”で、「ブログを書くことによって自分のしたいことが明確になる」という人を見つけた。

 


そうそう、それそれ。

自分もそう端的に言いたかった...んだが....

これまでもけっこう長い間「言えてこなかった」理由が最近は「わかる気もする」になっている。

 


そういえば...東大に進んだ奴と中学時代に同じクラスになったことがあって...

ほとんどノートをとらないのに....めっちゃ憶えて、めっちゃ順序だてて話せることに驚いたことがある。

まあ、その時は「俺だってやる気になればできるさ」と思っていたが...

それから相当に経験を積んだはずなのに、いまだ「出来ない」。

 


「ブログを書くこと」を最初からその救済に充てようと企んだわけではないが、奇遇にも「けっこう脳みその整理になるかも?」となって今に至っている。

 


が、それでも「明確」までには至らない。

どちらかといえば...「もつれている糸が多少はほどけた...かな?」ってな程度...

「どんだけ頭が悪いんじゃー」とキレたくもなる...ぐらいに。

 


まあ、高望みしたって仕方が無い。

自分には自分の能力ってものがある。

 


最近...改めて自分は相当の「うぬぼれ思考」であることを思い知らされている。

原因は”育ち”というか、”家庭”だ。

 


多少変ったところがある人達だな、ぐらいは思っていたが、まあまあ普通に社会生活も送っていたし、これで人並みな思考なんだろう...ぐらいなものだった。

が、そんな場所で育った”今”の自分の望みやら、目標やら、後悔やらは、彼らにとっては、「別に普通」なのに対して、けっこう世間じゃ「身分知らず」であることに気が付き始めて驚いている。

 


いやいや、それ相応の能力や履歴や出自でもあるなら、別なのだろうが、そんなものは何もない。

いや、むしろ、歴史的にみたらば、河原乞食に近いというか、まともに河原乞食だ。

振り返るなら、たまたまに、ちょいと人並みに社会人生活が送れるようになった...程度の家庭だ。

 


そんなクセして、その家庭内でのセリフの”思い上がっていること”。

まさに大言壮語。

総理大臣も、北野武も、石原慎太郎も、みんな、「大したことない奴」になっちゃっている....

ってことは当然なぐらいに....

学校の先生や、隣のおじさんや、市会議員程度なら、「我が家に叶うはずがない」口調だ。

 


もちろんそんなことはない。

いや、全く違う。

むしろ全員揃って学歴最低限の家庭だったので、「叶うはずがない」のはコチラ側だ。

 


...恐らく...同情的に見れば...世間に認めてもらえないような出自歴史だったので...

せめて家族内だけででも「誇らしい気持ち」を自画自賛したかったんだろう....

もの哀しい...というかわからんでもないが....

 


ただ...そんなモノの見方というか、社会の判断の仕方というのは、怖ろしいほどに自分にも身についていた。

んだということを、今更ながらに気が付き始めた。

どうしてこんなにも悶々としているのか?

どうして不満や後悔ばかりなのか?

目標や欲望や願望と現実にこうも「差」があるのか?

 


それは...

「自惚れ」てでもいなければ自我を支え切れなった家庭において、励まし合うかのように自惚れ合ってきた環境の中で、怖ろしいほどに「自惚れられる」性質をぬぐい去れないほどに沁み着かせた変態なのかもしれない。

 


その代表格である親父は

常に勘違いしている。

いちいち勘違いしている。

だから何も迎合しない。

つねに不満と不安でイライラしている。

歳をとってよりひどくなっている。

以前より、さらにわかりやすくなってきた。

だから、はっ、と自分も気が付いたのかもしれない。

俺とソックリだ。

 


祖母もそうだった。

気位だけが高いなら、まだ褒めようもあるが、小作人のくせして庄屋ぶるまいで、周りの人間をコキ下ろすこと....

なので...孤独に死んだ。

親父も...孤独で、法事にさえ人は集まらない....

 


とんでもない「自惚れ一家」であったことに気が付いたのは”今”だ。

”普通の人”ならこんな違和感に即座に気がつくんだろう。

”気が付けなかったほどの異常さ”だ。

親父に対しても、何故にイラつくんだろうと思っていたが...”俺”だったので、イラつくんだろう。

 


「どうしてうまく行かないんだろう?」

の答えは簡単。

それだけの実力と努力が足りないだけのことなのに、

「それだけの実力も努力もあるのに」と勘違いしているから、いつまで経ってもその「差」は埋まらない。

 


さてさてどうするのか?

 


正直、自分の育ちには説明しがたい「負の連鎖」をずっと感じていた。

さほどに金欠でもないのに、まずは人が離れてゆく。

母方も一家離散のごとく相続で五家族にも分かれた。

父方は兄弟で裁判を起こす事態で、かつては20人をも超えた法事に今は誰も来ない。

従って「親戚の集まり」というものは皆無。

皆無のくせして....

我が家の歴史の自慢を孫に力説する....

空しいを通り越している。

 


しかし...

家庭の中ではまだマトモな程度の自惚れかもしれないが...

自分にも相当の素養がある。

いや、これまで上手く行かなかった場合の根源の原因は、どうにもソコなんだと確信するぐらいだ。

 


なんだかわかってスッキリしたような....

とんでもなく馬鹿だったと確信したような...

ま、少しずつ考えていくしかないな。

でなけりゃ”今の”親と同じ人生だ。

いや、もうけっこうなりかけている。