小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

AGITOなる者は...

 

 

20年前までが...辛く苦しい人生だった...というわけじゃない。

むしろ逆。

やれ海だ。やれ山だ。それ飲み会だ。

と毎週のように遊び三昧の生活だった。

 

ゆえに...不満などさほどになかった...はず...なんだが....

何故にか突然....

「ここままじゃ駄目なんじゃないか?....」という気持ちが脳裏にはびこるようになってきた。

 

キッカケも誘因もあったのかもしれないけれども、今でもハッキリ「これだ!」というようなものは見つかっていない。

だから自分じゃ....

神の思し召しよって覚醒でもし始めたのか....

と思っていた。

もともと「目標」とか「ねらい」とか能動的に設定する方じゃなかったし....

 

最初の”覚醒”は、よく言う「走りだした」ことだろう。

いわばダイエットの為のジョギングなんだけれども....

部活でさえ地味な練習を避けて球技を選ぶぐらいだったので...

まさか将来に「自ら走る日課」を与えるなんざ...想像をもしていなかっただろうに....

 

さらには市民マラソン大会まで申し込むことになって...

一体自分の何がどうなっちゃたのか?

なんて頃に...

 

仮面ライダーAGITOは始まった。

日曜の朝は子供達のテレビの時間だったので、子供達が見ていたものを覗いていた...だけだったんだが....

なかなかそうはいかなくなった。

 

「弱い」

 

のだ。

仮面ライダーが。

やる気もないし、使命感もないし、おまけに悪の手先にやられておめおめと帰ってくるのだ。

 

いつの間に仮面ライダーはこんなになっちゃったんだ....

 

が....後々覚醒して行くのだ。

見事なほどに。

 

俺も覚醒しているのかな?

でも、こんなに恰好よかないけど...

が、20年経ってみるならば....やっぱり覚醒したな...と思う。

やることは色々とやってきたけれども...

案外「自ら」という気がしない。

「誰に」というわけでもないのに...「誰かに」背中を押されるように手を付けたことの多いこと....だから....

努力というよりも覚醒という自分以外の力が働いているような感覚がある。

 

20年経っても、まだ終えていない。

それどころかまだ始めようとしていることもある。

 

20年前まではそんな人間じゃあなかった。

本人が言うのだから間違いない。

 

この20年間覚醒し続けていなかったら....

いつも言うように

みすぼらしくなっていたという次元じゃなく...死んでいた。

もしくは家族を路頭に迷わせていた。

のは間違いのないところ。

 

神様は何のために自分を覚醒させたのかよくわからないんだが...

多分...親父からの「父親教育」が不十分だった自分に...

「親父たるものは」

の姿勢を植え付けたかったんじゃないだろうか?

 

ま、一応親父よりかは少しはマシな親父にはなったように思うけど...

 

でも...いい親父ってな、けっこう孤独なんだよな。とも思う。

しゃーないな。

子を独り立ちして生きて行けるようにするのが親の役目なんで...

役目を果たせばそういうことになるのでしょう(笑)