小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

時代の移り変わり....ってなこともあるんだと思う

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ちょうどボクシングが話題になっているけれども....

私の中の永遠のヒーロー”矢吹丈”は勉強なんかしない。

喧嘩ばかりしてボクサーになっていった。

最近の官僚や政治家よりもうんとどこかのボクシング会長に似ている。

 


勉強を教える教師とて、中村雅俊なんかだと、丁寧に教えるどころか、思い通りにいかないと殴っちゃうし、そのくせすぐに心打たれて泣いちゃうし、なんやかんやで夕陽に向かって走っちゃうし、

挙句....ギターを抱えて歌えば....一見落着となるので、昨今の教師から見たらば....信じられない教師像だ。

が、そんなのが”憧れの教師像”とされたりした。

 


木暮修や工藤俊作は肩書は一応”探偵”ということにはなっているんだが...

定期的な収入すら約束されず、不安定というよりも将来の全く見えない生活になっていた。

フリーターというよりはもはやプータローに極めて近い。

が、それでも超格好良かった。

それこそ霞が関に通うエリート官僚に傾倒していた方がうんと将来のためになっていたと思われるんだが....実力は別にしてガリ便のなれの果ての疲れたオッサンに憧れを抱くような人は、よほどの先見性のある人じゃないと無理だったろう。

 


私の周りだけだったんだろうか?

”結果”よりもむしろ”生き様”のようなものにスポットが当てられ、傍若無人で豪快な様が、”格好良さ”の指標でもあったように思う。

そりゃあ昔から週刊誌による「難関大学ベスト100」やら「憧れの就職ランキング」なんてのはあったけれど....

そこにハマっていないからこその”価値”ってのがもう少し大事にされていたように思う。

良いか悪いかは別にして。

 


例のボクシング会長を見ていると、そんな時代だったから許されてきた人物なんだろうとも思える。

私の身の回りにも決して少なくない。

いい歳こいて「いつまでたってもサーフィンが好きだから」「海が好きだから」....という彼を支えるためなら苦労もいとわないのだろうか?奥さんや、奥さんの実家が援助してくれるからこそやりくり出来ているサーフショップは、事業として成立しているとは言えない。

ある意味ヒモのようなものだ。

そして例のボクシング会長ともウリ二つの生活。

 


野球ってのもプロを目指すとなるとしゃれにならないぐらいにお金がかかるそうだ。

それゆえに断念せざるを得なかった家族も知る。

が、嫁の実家からの支援があったからこそその夢を継続できている奴が....「お前ん家はそんな簡単にも諦めちゃうの?....」って....

「お前だけには言われたくないわ」

という話だ。

 


でも....

そういう人らが、許されてきた時代でもあったように思うのだ。

ある意味息苦しくないというか....

青田赤道であろうとも、がきデカであろうとも、そんなに難しい事考えずに、週末に”元気が出るテレビ”を見るならば、俺も一億総中流の一人なんだろうと思えたからこそ.....

本業が駄目なら趣味でも、道楽でも、別の土俵でも....

と、生息場所を変えてでも、生き生きとしていられる場所を探せた時代だったということだ

探していても許された時代だった...

と....思うのだ。

 


ボクシング会長に問題がないわけがないが、その発覚だけでもないと思う。

クソ真面目な努力こそ実力発揮の根源だとして生きてきた官僚や大企業のエリートが「いつまでも一緒にしてくれるなよ」と怒っているのだろうか?

「世の中は平等なんかじゃないんだよ。家柄も名誉もそれらに連れ立ってついてくる財産も、結果を出せる実力があってこそ、なんだよ。」

と、今、更に、強調してきている時代のような気がする。

底辺が追い付けないほどに引き離したのを確認してから。

 


コンプライアンスという名刀?をふりかざし、はみ出た野郎はバッサバッサと斬ってゆく。

はみ出ようとするものも容赦しない。

 


こんな時代じゃあ、俺の大好きな木暮修はヒーローにはなれなかっただろう。

一部のうらぶれたマニアはつくかもしれないが....

少なくとも豊かで安定した生活を望む女性にゃ好かれない。

ましてやIT企業の社長と付き合おうとするような人には好かれない。

よりどりみどりな女子アナが木暮修と付き合うとは思えない。

そんな奴に憧れて真似をしたいという男子なんて出てくるはずもないだろう。

そんな暇があるならば、少しでも竹内涼真君の爪の垢でも飲んでおこうとするだろう、と。

 


山根会長とともに趣味に生きる男が格好良いと許される時代は終わってゆくのかもしれない。