小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

家康にはなれない....いや、なれるはずがない

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もうとっくに下山ルートを歩いていたのかもしれないが....

自覚の上では”登山のつもり”だったので、けっこうな”大転換”だ。

まあ、そうは言ってもこの2年半ほどは、下山ルートが見つからず、山頂あたりをうろついている様だったようだけど....

 


なので、意識の転換にも正直戸惑いはある。

大した成果を出せたわけじゃない登山とて、上を上を、届かない場合には飛びつく気持ちですらいたわけで

それが”下山”ともなると、寂しいというよりも、しょぼくれた感じは否めない。

なので受け入れる準備として2年半が必要期間だったのか。

 


慣れない心境だが....

今は時が来てしまったようなので、積極的に受け入れなければならないだろう....

 


下山や撤退や風呂敷を畳むことは登ることに比べると

エネルギーこそ要らないのかもしれないが....

さりとて簡単というわけでもないと思う。

 


ある意味エネルギーが無いので、無駄も出来なければ、失敗のリカバリーとて大変だ。

若ければ....

体力で、気力で、根性で....どうにか出来たかもしれないが....

気持ちの上では出来そうであっても出来ないことは増える一方だと予想するのが賢明だ。

 


そして...

下山や撤退や風呂敷を畳むことは...

案外長い道のりだと思えている。

さらには....楽しくもない。

 


からして....

重要なのは「心の健康」になるとと思う。

本当は辛い時間なのかもしれない。

が、そう思ってしまうなら....

これからの人生はずっと「辛い人生」だと自分で決めつけることにもなる。

 


だから....

下山や撤退や風呂敷を畳むことを

辛いもの、重いもの、苦しいものだと....

あえて思うことのないようにする”努力”は必要だと思う。

 


徳川家康は言った....かもしれない。

でも....

自分は徳川家康ほど偉い人間ではない。

ならば、そんな重い荷物を背負ったまま歩き続けなくてもいいだろう.....というところだ。

江戸城に住まわせてもらっているわけでもないんだし。

 


小さな人生だったかもしれないけれど....

案外たくさん背負ってきたじゃないか。

少し体力もなくなってきたからさ、それをさ、一つずつさ、降ろしていって....

身軽になっていこうとしても....

バチは当たらないんじゃないか?