かつて...「ねじれ国会」と呼ばれ...参議院と衆議院の多数政党が違う状態がものすごく非難されたことがある。
「決められない政治」とか言われて...
私は不思議だった。
ちゃんと議員に都合の良いことは「決めている」のだ。
決められないことはない。
そもそもに...
二大政党の意義はそこだろう。
50VS50でものすごく拮抗・伯仲することが「理想」じゃないのか?
様々な意見や見方があるから「簡単には決められない」んじゃないのか?
それは国家にとって「熟慮」の良い機会になるんじゃないのか?
「熟慮の結果」なんてむしろ財産だ。
そして幼稚な民主党政権は老獪な従来の支配勢力に...「決められない政権」のレッテルを貼られ...壊滅した。
後に誕生した安倍政権は民主党では出来なかった「スピーディに決められること」を期待された。
「森友学園」も
「加計学園」も
「桜を見る会」も
野党も、民意も、反意を表明する官僚を強引に左遷させてまでも、関わった役人に自殺者が出ても....
”国民の期待通りに”...
「スピーディに決めてきた」
だけのことだ。
何度も選挙があったのだ。
異議があるならそこで国民は反意を表明すれば良いだけのこと。
さすがに他の政党に投票したからといって殺されたりはしない。
今回の検察官の定年延長とて...
「同じこと」をやろうとしているだけなのだ。
好き嫌いや正義不正義を論じているんじゃない。
議会制民主主義だの立憲主義だの「わかったつもり」の国民をあざけ笑うかのように上手に利用しているのは「誰か?」という話。
システムの理解と能力の問題と言ってもいい。
「徴収」はビックリするぐらいシステマチックにしかも効率的にされるのに...
「もらえるお金」の手続きは、専門家に相談しなけりゃわからないほどに複雑なものであることがここんところよーくわかったはず。
しかもその相談相手の専門家は役人のまた天下りであったりもして...
河合なんたらといかいう議員についても...
「ひどい奴だ」
と今更になって言っているんだが...
「金を配ってまで票を買うような奴」に投票したのはそもそも「誰だ」という話。
贔屓の検察官の処遇をどうしようと...
「お任せします。好き放題スピーディにやってくださいね」
と認めてきたのは「国民だろ?」というシステムなのだ。
むしろ「変わってきた」のは国民なんだろう。
コロナへの対応を見て...気が付き始めた人が居るような気がする。
「決められない政治」をものすごく悪い状態のように刷り込んで...
「素早く判断してどんどん実行してくださいね」
とお任せしていたらば...
自分達に都合の良いことだけは...バンバン決めて行ったのに...
「自分達の得にならないことはビックリするぐらいに遅いのか...」と...
非力な国民にとって政治家や官僚は「頼もしい味方」であって欲しいのだろうけど...
そんなものは幼稚な理想論。
東大を出たようなドライで超現実的な優秀な官僚には見事なほどに利用されるだけ。
権力者の本音は...
利益相反関係なのだよ。
国民なんて。
どっかの大臣が10万円配ることに関して見事に言ったよね
「欲しい人は手を上げて」と。
あれが本音。
「国民のお金」じゃなく「自分のお金」なのだ。
あれだけイメージアップに利用されたエンタメ界もこうなってみてわかっただろうに。
金を生み出している状態なら好き。
でも...「同じ人間」であっても...
金をせびりに来るようになったら...鬱陶しい...のだよ。
それを利益相反関係と言う。
選挙権があるから国民主権とかおだてられて....
実態は「NOが言えるチャンスが選挙の時の一票分しか与えられていない」立場なのだ。
なのに...
国民性なのかな?
民主主義なんて本当は居心地悪いのだろうこの国の人は。
何代も続く名家のお殿様に華麗に支配されている状態が...
よほどに座りが良いようで...
どんな時代もそこに近寄ってしまう習性があるとしか思えない。