小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

思い知らされる

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その”実験”への”考察”から見つかるのは...

「良くなるためへの努力点」...よりもむしろ...その前段階になるのかな?

「間違ってるじゃない」

「出来てなかったじゃない」

「そもそもわかってないじゃないの」

という「マイナス面の発見」のが圧倒的に多い。

 

なんか、自分の欠点やら欠陥を知ると...

「ショックで飯が通らない」とか「自信を失ってやっていけない」...なんて言う人が居るらしいけど...

そんなの”嘘”だと思う。

 

もう...毎日のように...鱗が剥がれるように頻繁に発見する日常になってしまうと...

「またか...」「これもかよ...」

ぐらいの感想で...いちいち落ち込んでいられないのだ(笑)

 

ただ...「それらの放置」は自分を幸せにはしないので...「いつかは手を加えてやろう...」とこっそり”覚書”はしておかなきゃならない。

なんせ、手が回らないほど出てきているし、現在、もっと前に発見したこと修正実験中なので、「もうちょっと待て」というところなのだ。

 

もちろん「一極集中」ほど暇でもないので、いくつか掛け持ちになっているんだけれども...

ここんところうんと長く、しかも全然修正出来ていないのが...

「焦る」習性だ。

 

やることあり過ぎるってのもあるのだろうけど...

気が付きゃいつも「焦って」いる。

 

さすがに気を付けてはいるので...

「慌てて」までは行かないようにしているんだが...

「焦る」”手前”では以前として気が付けない。

 

他人様にゃあどうでもいいことかもしれないけれども...

過去の歴史的考証を繰り返してみたところ...

「過去の失敗たち」の相当な主原因になっていたと思える。

 

かなりの確率で大きな事故、大きな失敗の発端になっている。

 

その直前に...ハタと気が付いて...

少し落ち着こうとしていたならば...

”慌てる”を諫めていたならば...

「起きてなかった事故」や「免れていた失敗」と思えることの多いこと。

 

一度見てみたいぐらいなのだ。

他人様に成り代わって...

「焦っている最中の自分」を

 

非常にみっともない様、醜い様...ぐらいに想像する。

 


「自分について考える」という習慣は

ある意味...

自分についての「みっともない部分」を思い知らせてくれること...になっているわけ(笑)