その”実験”への”考察”から見つかるのは...
「良くなるためへの努力点」...よりもむしろ...その前段階になるのかな?
「間違ってるじゃない」
「出来てなかったじゃない」
「そもそもわかってないじゃないの」
という「マイナス面の発見」のが圧倒的に多い。
なんか、自分の欠点やら欠陥を知ると...
「ショックで飯が通らない」とか「自信を失ってやっていけない」...なんて言う人が居るらしいけど...
そんなの”嘘”だと思う。
もう...毎日のように...鱗が剥がれるように頻繁に発見する日常になってしまうと...
「またか...」「これもかよ...」
ぐらいの感想で...いちいち落ち込んでいられないのだ(笑)
ただ...「それらの放置」は自分を幸せにはしないので...「いつかは手を加えてやろう...」とこっそり”覚書”はしておかなきゃならない。
なんせ、手が回らないほど出てきているし、現在、もっと前に発見したこと修正実験中なので、「もうちょっと待て」というところなのだ。
もちろん「一極集中」ほど暇でもないので、いくつか掛け持ちになっているんだけれども...
ここんところうんと長く、しかも全然修正出来ていないのが...
「焦る」習性だ。
やることあり過ぎるってのもあるのだろうけど...
気が付きゃいつも「焦って」いる。
さすがに気を付けてはいるので...
「慌てて」までは行かないようにしているんだが...
「焦る」”手前”では以前として気が付けない。
他人様にゃあどうでもいいことかもしれないけれども...
過去の歴史的考証を繰り返してみたところ...
「過去の失敗たち」の相当な主原因になっていたと思える。
かなりの確率で大きな事故、大きな失敗の発端になっている。
その直前に...ハタと気が付いて...
少し落ち着こうとしていたならば...
”慌てる”を諫めていたならば...
「起きてなかった事故」や「免れていた失敗」と思えることの多いこと。
一度見てみたいぐらいなのだ。
他人様に成り代わって...
「焦っている最中の自分」を
非常にみっともない様、醜い様...ぐらいに想像する。
「自分について考える」という習慣は
ある意味...
自分についての「みっともない部分」を思い知らせてくれること...になっているわけ(笑)