正直な話、
ネットが登場した頃、ものすごく誘引されてしまったのは、
現実の世界で”聞けない話””見られない映像”があったからだ。
健康な成人男性が発する感想なのでお察しを。
Hな世界の件ばかりじゃない。
2chを代表として、面白い本音、痛快な厭味、引きずり込まれそうな嘆き...等々
現実の世界でそれを発することは
禁じ手、ご迷惑、失礼、戒めを受ける....としてなどあって、縁の下に隠されていた”思っちゃいるけど発せられない言葉”が大量に溢れだした。
もちろんその功罪はあろう。
が、それによって、現実の世界だけでは知る由もなかった「本心の世界」の存在を知り、人間はさほどにも単純ではないことを知る手がかりを得て、
学校で教えてもらったような清廉潔癖な世の中にいつまでたってもならない理由がわかったような気もした。
大袈裟に装飾された話も多い?
そんなこと子供じゃあるまいし、わかっているに決まっている。
それを除いても、という話だ。
”悪い状況”として話しているわけではない。
自分じゃそれらも有益ととらえている。
聞くにも忍びないほどの汚い罵り。喉から血が出そうな怨念。
それらが”嘘”であることを願いたいが、残念ながら”本音”であることも多い。
大体の人は良識がある。
だから...
思っていても「現実の世界」じゃそれを吐かない。
吐いていなかった。
そこに登場したうってつけの”井戸”がネットだった....と、思うのだが....
誰にも気付かれないように、こっそり井戸に吐いたつもりの言葉が...
「人としてあるまじきでない言動」やら
「良識というものを全く身につけていない人格」やら
として断罪される。
ひょっとしたらば断罪する側も大して立派な行動しているわけでもないのに、言葉の上での良識の優位を刀にズバっと斬り付ける。
道徳の公式に当てはめるなら、
そりゃ言われてしまえばそうだろう。
見つかってしまったということは”井戸の外に引っ張り出されたことになり”反論できるわけもなく”謝罪”するしかないのだろう。
....なら...言わなくなるよな。
二度と。
本音を。
そしてそれほどまでに誇張する道徳心や公共心に現実の世界も”ちゃんと”満ち溢れているのかな?と。
悪いがどんなにきれいな文章でも、”よそいき”の文章なんて、空虚なだけだろう。
どっちかっていうと”本心見たくて”ネットやってんのに、そんなキレイ事の文章なら、新聞、テレビ、雑誌で十分なんだけど。