「”もう一人の自分”が”自分”を適切な方向に導くため」の最重要課題は....
「正直な自分のデータ」を提出出来るかどうかにかかっていると思う。
人間...というか、自分だけなのかもしれないが....
誰にも知られていないようなところでも....けっこう格好をつけたがる。
本来の自分よりも....ちょっと...盛ったりしている。
それは「自信をつける術」というものなのかもしれないけれども....
”過信”との線引きは怪しいもんだ。
そもそもに....今よりも....
伸ばしたい、修正したい、幸せになりたい....
のであるならば、さほどに今現在を肯定的に捉える必要もない。
逆に....過度に矮小化する必要もないだろう。
それにも意味がない。
やれることまでやれないとし、出来ることまで出来ていないとするならば....
いつまで経っても同じところで同じ努力を継続せねばならず....
次の段階には進めない。
ある意味、これも芥川龍之介の言う血の海だ。
肉体で考えればわかりやすい。
筋力には優れるものの心肺機能に劣る者に、さらなる筋トレを課せば、能力アップが期待できるかと言えば....
おのずと...?だろう。
「短所には目をつぶって長所の伸ばす」
を都合良く盲信的に信望する人が居たりするが....
それは...「基本的に大体のことをオールマイティに出来ている上で」の話だ。
「足が遅いんで、テクニックが自分の売りです」
と言うバスケットボール選手に、本当に足の遅い選手なんて居ない。
「無いもの」を「持っている」と錯覚するから順序が狂う。
「在るのに」...「持っていない」と虐げれば....無駄に時間を費やす。
焦ることはないが、一生は一度しかないし、一日は24時間から増えない。
事実に基づかないこと...
事実から離れていること....
はある種虚像。
砂漠のオアシスみたいなもので....
そこへの努力は....
糠に釘と同じ。
だから....感情を別にする「第三者の目」が重要なんだと思う。
ズレないように。
が、そのコーチングを”もう一人の自分”に任せるしかないのであれば(さほどに特殊な例ではないと思う。いわゆる”独学”という奴で案外何処にでも居る)
正直な自分というか.....事実とズレのない「等身大の自分」を把握することは....必須の最優先課題だという認識に至っている。
20年前から反省作業が始まったとするならば....
このことに気がついたのは...4年前ぐらい?
笑えるぐらいに”最近”だ。
それまでの”努力?”から空回り臭が抜けなかったのがよくわかるようになってきた(笑)
が、残りの人生が少なくなってきて....
いつまでも空振りでは済まされないというか....残念過ぎるだろうと....
たまたまに....近所で解体工事が進んでいる。
150坪ぐらいはありそうだ。
が、ちゃんと業者は150坪なりの解体をし、造成をしている。
当たり前だが....100坪と見間違えての解体もしないし、300坪とサバ読んだ造成もしない。
そういうことなんだと思う。