小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

習性

 


”等身大”で考えるようになって...

「人生のイメージ」も変ってきた気がする。

 


人生は、よく”道”や”山登り”に例えられるように....

自分でも昔は....直線的なイメージを持っていた。

 


だから....出遅れたら追い付けないし、先行すれば追い付かれないとも....

 


が、最近は「似たようなところを何周も回りながら上下する螺旋のようなイメージ」になっている。

そもそもに....人生の基、命の源の天体だって”一方向に行きっぱなし”なんて消滅してしまう彗星ぐらいなもんだ。

 


大体....回っている。

毎日、毎年似たようなところを。

 


ただ....それだけでは、上昇、下降の説明がつかないので....

まあ螺旋階段のように....

と勝手に装飾してみた。

 


それはまさにステージと言うか、螺旋状に周りながらも気がついたら一段上を回っている....

いや、気が付いたら一段下がっていた...ってことにもなるんだろう....

というイメージ。

 


以前のイメージだと、人生は

ビーチフラッグゲームだった。

だから小学校のアホな自分はわき目もふらず、人のことも考えず、フラッグに猛進し、奪い取っていたんだろう。

なんだか多くの人を傷つけていたように思う。

 


が、中高生にもなると、その”必死さ”がみっともないというか、恰好悪いと思えて、つかみ取りには参加しなくなったのかもしれない。

 


自分じゃ大人ぶって見下した立場に居たつもりだんだけれども....

争奪戦から落伍していただけのことかもしれない。

 


その証拠に....ひたむきにフラッグに邁進する者に妙なまぶしさや憧れを持った。

だから真似をしてみることもあったんだが....

やっぱりそのような人生は長続きしなかった。

 


どうしてだかなんて考えたこともなかったんだけれども.....

等身大を知ろうという渦中で少し思うようになってきた.....螺旋状の人生の道のりとビーチフラッグには参加しない自分の姿勢だ。

猪突猛進型からはほど遠く、少しのんびりもしているし、熱意も足りない...かな(笑)

 


それでも現在は...一応自分でも...最近は特に...一生けんめいやっているつもり。

 


でも奪い取るような姿勢は相変わらず無い。

いや、一生懸命になっているところが違うのだ。

興味を持っていたり、引き付けられたり

注意をしてしまうところが

フラッグではないのだ。

 


じゃあ何を見ているのかといえば.....

 


落とし穴を見つけようとしている....ようなのだ(他人行儀だが...)

 


落ちてはいけない穴を。

 


なんだちっとも恰好よかない姿勢だが....

実際「そこを考えてしまう性格」だと思うようになっている。

 


「ああだったらな...」「こうだったらな....」と高い望みや空想を抱きながらも....

実際の行動は....

「ともかく落とし穴だけには落ちない」

ようにしているわけだ。

 


それが良いことなのか?悪いことなのか?

死ぬまで答えは出ないように思う。

ただ....これこそが多分人生というもんなんだとは思う。

 


生まれ落ちた環境、条件...生育環境その他もろもろの運命としか思えない事象...

それによる経験、記憶、思考、反省、教育、影響....

そういったものによって、自然であり必然として出来あがっているのが自分。

決して理想通りではないんだけれども....

「自分と向き合う」

というならば....

現実の自分を把握すべきなんだろう。

 


理想の自分なんて....

絵に描いた餅だ(笑)