小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

そんなに暇じゃない

 

 

"心"とか"気持ち"について...人と語り合いたくないのは....

 

所詮はキリのつかない話だから...

結論の出ない話だから...

正解もないから。

 

当たり前。

”心”自体の存在は...そんなもんの実態なんて本当は無いところを自分の脳内で勝手に都合良く創作しているだけなので....

それを語り合ってことになるなら...どちらかが我慢や折れることを強いられる。

 

千差万別、基準も正しさもない。

一方では良いとされることが他方では悪いとされる。

勝てば嬉しいし、負ければ悔しいのに...

”平等”とか”一緒”とか”皆同じ”と矛盾したことを求められる。

 

よくあるラインは...多数派だ。

「みんなそう言うから」

が道徳になり、常識とか言われる。

”大勢に都合が良い”だけなので...

自分だけが困っている場合には...

何の救済にもならない。

 

「自分のしたいこと」とて....

強欲そうな人が話せば「我儘」と非難されるのに...

気の弱そうな人だと「頑張って」「目標に向かって」と励まされる。

その”境界”はどの辺なの?

見た目?印象?

 

右と左。

資本主義と共産主義

ある人にとっては善行であってもある人には嫌らしい行為と映る。

そんなところは話し合いで解決する?

 

武田先生は....「だから議論の存在価値がある」

とおっしゃるが....

議論の結果が「さらに嫌いになる」

から...

イスラエルパレスチナの問題がある。

議論は必ずしも正への努力とはなっていない。

 

「話し合い」

でわかりあえるなら....

「話し合い」

でお互いの心が通じるものなら....

戦争や争いまでの大袈裟なことではなくても...

少なくとも...離婚とか不倫とか...それぐらいは無くせるはず。

 

現実はどう?

そういうこと。

 

だから心の話なんて...

するだけ無駄とは言わないけれども...

少なくとも...仕事をリタイヤして、どう時間を使おうと余ってしまうほどに暇になってから...

すりゃいいもんだ。

ぐらいに思っている。

 


”優しさ”も同じ。

”優しさ”を語りたいほどに愛用しているのなら....

書き、語る暇に自分で出来得る行動で...

”何か”を実践していた方がいいと思っている。

何かは自分じゃわかっていないので....

遮二無二、試行錯誤、七転八倒しているけど...

それでも半分ぐらいは....

語ること

より自分の役に立っているかと....

 

そんな訳で私には暇もないし、資格もないので...

心や優しさにウットリ時間を使うことは全く好きじゃない。