少数の友達であっても、そんな感覚なので...
自分にとっての「ものすごく大勢」は...
「力強い仲間」などではなく、「半狂乱の渦潮」のようなもの。
少なくとも...「みんなと」やら「みんなで」ということで、状況が掴めないほどの「大人数」に巻き込まれれるならば...
そんな中で「冷静に自分を見つめられる」は維持できない。
「冷静ではなくなった自分」で、正しい判断が出来るなんて思えない。
都会なんてただでさえ「大人数の渦潮」なのに...
そこでまたさらに「集まろう」を推奨してどうすんのか?と思っていた。
冷静でいたくない...
つまり...
狂いたいのか?
と。
狂っていたいのか?
と。
思えて....
実際...集団でよく見られる「狂っているような光景」を...
たった一人で渋谷あたりの交差点でもやってもらうなら...それはもう「羨望の眼差し」ではなく...
「アイツ...ダイジョウブかよ...」
になることは間違いない。
そういうこと。
集団の中からは...それが「見えなくなる」。
「”みんな”に囲まれている」ことは一見「温かそう」なことでもあるのだろうけど...
「自分の声」が聞こえなくなる環境でもあるということ。
楽しい事...ばかりでもなくって...恐ろしいこと...もあるんだ。とは思わないのだろうか?
まあ...実際の心境は...そんなにも大袈裟ではなく...「逆らう」というよりは「苦手だな、この雰囲気」ということで...前向きにはなれなかったというところなんだけど...
ゆえに...「一人で居る」ということには抵抗がなく...「来る?」「来ない?」に対しても...「一人で言るのは寂しいからとりあえず参加しておこうか...」は無い(笑)
抵抗なく「行かない」と言える方だというだけ。
お客様相手でないのなら(笑)
そもそも「寂しいからの参加」って...相手にも失礼だ。
というか「行かない」がヘーキで言えない相手は「友達なの?」とは思っている。
そして...その状況が「孤独」と評されることにも抵抗がある。
”謎の霧”は理解されないことなのかな?と何十年と抱えたまま生きてきたけれども...
まさかのこのコロナで...
「一人」の良さににスポットが当たるとは(当たってないか)笑
ようやくその悪いイメージの霧が晴れてきたのは奇遇の賜物。
というか「身勝手過ぎる判断」だろうと。