小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

駄目になる時も...”みんなで”一緒にねってか?

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「一人」を「良し」としてしまうことは...

「一人」を「独り」として忌み嫌い、「みんなで」...と修正を求めてきた人達にとっては...

 

「言うことに聞かずに勝手に力強く生きてしまえる人々」が増える。

ことになるので...

”都合の悪いこと”でもあるんだろう(笑)

 

ぐらいに思っているので...

特段悪い人間でもないし、強い人間でもないけど...

人の言うことは...あまり...聞かない(笑)

ようにしている。

というか「従って欲しい」のであれば、それなりの「責任取れよ」と思う。

 

大体...「みんなで」「みんなと」と諭そうとするヤツに限って...

責任も「みんな」に分散させようとする。

 

コロナで、五輪で、絶好の教材が山ほど見られるようになってきた。

おととしの年末にはあれほど「みんなで」って来年のオリンピック開催に向けて一致団結していたのに...

 

「私の責任です」どころか...

「私が悪いんですか?ハァ?」

ぐらいに開き直っている。

 

政治家の力量はお持ちなのかもしれないけれども...基本的な人間の力量は無いようだ。

 

そこを責めるつもりにはなれない。

自分だって欠けている部分は山ほどあるのだから。

 

問題は...そんな人を「一体誰が選んでいるの?」だ。

 

そういえば...総理大臣に選出する際も...

コソコソと数人で選んでいたよね。

 

そして”みんなの”「総理大臣」は誕生した。

で、金融業界大再編で、リストラの嵐が吹き荒れて、”みんな”散り散りばらばらになって行った...

見事なほどに責任を、あたかも”みんな”が取ったように...

 

さあ、オリンピックはどうなるんだろう?

どの”みんな”が責任取らされるんだろう。

 

「みんなに」「みんなで」と集めておいて...

いい時だけだろ?

”みんなに”夢や希望の幻想を見せてくれるのは。

 

逆だよね。

苦しい時にこそ...”みんなに”希望を持たせて欲しいよね。

 

さらには...悪い状態にまでしてしまっているのに...”みんな”に責任被せてどうすんの?