「急いでいる自分」の発見に努めるようになって幾分かになる。
ハッキリ言っていまだに毎日あるし、頻繁に急いでいる。
違っているところとしては、せめてその半分、いや、3分の1ぐらいに...「気が付けるようになった」というところ。
そんな程度ぐらいしか違わないのだが...以前は「全く気が付いていなかった」のだから...それは随分と恐ろしかったことだ...とは思う。
冷静に考えれば、「急ぐこと」のメリットももちろんあるんだが、「デメリット」とてわかること。
それに「関心すらなかった」というアホらしさ。
この「急ぐ」という性質も父親譲りなんだが、他の自分の短所も父親譲りのものが多い。
ま同じDNAを共有しているんだから仕方がないことなんだろうけど...
だから自分の短所の危険さやマヅイところは「見て」知ってきたはずなのに...
父親がこれらに気が付こうとせず、なので直そうともしてこなかったのは...
「自分のやること、考えることには間違ったところはない」という圧倒的な過信。
自信じゃない。
ものすごく甘い尺度で自分を見てしまっている過信から。
そして...自分もこの歳になってようやく気が付いてきたということは...
やはり父親同様...
「ものすごく甘い尺度で自分を見てしまっている過信」に包まれて生きてきたという証拠のようなもの...
そんなにも不幸な人生でもないし、
そんなにもぐうたらでもないと思うけど...
案外努力が報われないというか、空振りの多かった理由は今になって「よーくわかる」。
少しボケ始めた父親は...
いまだに過大な妄想の自分が居て...
市長か県知事か経団連の経営者であったかのようなご意見を言う。
そんなもの...
昔から...
家族ぐらいしか聞いていなかったのに...
ま、他にもいろいろ受け継いでいるとは思うけど...
今はまずは「なんでそんなにも急いでいるの?」
の発見に努めること。
「やりがいある」(笑)
ぐらいいまだ頻繁なので。