そんなに深刻には考えていないし(いけないだろうし)、別にフザけているわけでもないけれども...
よーく昔を思い出してみるならば...
父親を否定している自分の素行が...
「実に父親ソックリ」だったことは...笑えるほどに哀しい事実。
それがDNAというものであろうし、”自然”にしておけば、そのようになるということ。
「ありのままでいいのよ」なんて言われる人は育ちが良いのだろう。
自分は「ありのまま」でいいはずは無い。
「ありのまま」なんかであったなら、父親同様に人を傷つけ、馬鹿にし、威張り散らかして、孤独になる。
そんな人生をもう見てしまっている。
たしかに傲慢、過信からの「勘違い」ほどの自惚れがあったからこその「突破」は数多くあると思う。
場違いなステージにもよく立たせていただいた。
が、それらが続かず、また大した結果も残せなかったことが...
「虚像の証明」だ。
大谷君を見ていると、いつも思ってしまう。
自分ごときがどうしてあれほどにも運動に熱中出来たのか?と
スポーツテストが1級だとか、県大会出場なんて、スポーツ選手じゃ「最低条件」でもあろう。
「それ以上」を目指す素質は全然足りていないのに...
どうして「やれる」と思っていたのか?
その素質に冷静になれる今は、「精神状態」を疑ってしまうほど。
たしかに...「俺なら出来る」と思うからこその成果もあったのだろうけど...
冷静に見切りをつけたところからの、もっと適した分野への移行は長い人生”早め”であっても良いように思う。
自分は23年前なのだろう。
少しブランクの空いた”運動”とやらを復活してみれば...
若い時に自惚れていたほどに素質のないことをようやく”発見”できた。
そこからは...皮肉にも不思議にトレーニングは続いているんだが...
それはもう逆に競技とか、プレーとかへの参加に決別したからかもしれない。
純粋な健康のためのトレーニングぐらいじゃないと運動にかかわっていられないと...
寂しいというよりも...
”届くはずのなかった柳”へのジャンプにもがいていたことの方が...「もったいなかったな」と思うぐらい。
それぐらい大谷君のフォームも活躍も美しい。
自信満々だった俺の運動姿って...きっと見られたもんじゃなかったんだろうね...と素直に思わされてしまう。