そんな単純でもないんだけれども...
身の回りにあるモノが「ちょうど良いサイズ」になってきたり...
誇張したり、言い訳することなく無言で見せられる成果が、「ささやかなものであっても」一つずつ一つずつ増えてきたのには...
「”出来ないこと”を誤魔化さなくなってきた」...からだと思う。
秋野暢子さんのダイエット本の冒頭に書いてあった。
「思っているより運動不足に陥って、摂取カロリーが消費カロリーを下回れない日常になっているのは”かつてスポーツマンであったこと”を自負する人に多い特徴。」
...に...「んなワケないわ」とタカをくくっていたが...
実際に走り出してみるならば...5分も持たずに膝が痛くなり...懸垂に至っては「一回も...」というよりも、ピクリとも体が動かずビックリしたもんだった。
それが...”分岐点”になったと思う。
誰も見ていないし、誰に報告するわけでもない。
飲み会の席じゃあ相変わらずのスポーツ武勇伝でも披露しときゃあ...「かつてはスポーツマンだった」は維持できるバッジだと思っていたが...
なら「”見た目”も維持出来ているはず」なのに...そうじゃない。
そう、「そうじゃない」のが現実なのだ。
なので「現実を認める」方を珍しく選んでみた。
「もう...全然スポーツマンなんかじゃない」というところから...
悔しいが、秋野暢子さんの「予想」通りになったわけ。
なので...ジョギングも諦め...真摯に「歩くこと」から始めた。
でも、そこから始まって...4か月で16kgの減量になり、副産物として市民マラソンでの参加者順位も平均以上という...
「口で装飾することなく”目に見える”現実の結果」を手に入れた。
が...「ザマアミロ」という横柄な気持ちにはならなかった。
そう...”あの時”「みっともないから」と歩くことから始めなかったり...「せめて一回でも」と必死でもがき上がって懸垂をしていなかったから...
「今はない」のだ...
振り返った実感はそれだった。
そんな経験それまでなかった。
高校受験なんてナメたもんで、ほぼほぼ勉強なし。
大学受験でも3か月計画だった。
「大志」もないので、大した成果ではなかったけれども、自分で「まあまあ」としてきたので、そんな人生に反省なんてしたこともなかったのだ。
いや、むしろ...
「そんな短い期間で合格出来たの?」という”他人の驚き”のが自分には賞賛だったのだ。
まさに...
自分の父親にウリ二つ
う~ん、残念だけれども冷静に振り返ってみると...当たり前にそうなんだろう。
そのDNAをしっかり受け継いでいるんだから...
ただ...そのDNAに初めて逆らった経験になったのかな?
本当に「ささいなキッカケ」で「人生の分岐点」などと言うのがおこがましいんだけれども...
そういった「ささいなキッカケ」を小馬鹿にし、軽くあしらうDNAなんだから...
「反対方向の芽」が出てきたってのは...
この家系にとっちゃあマグレのようなもんだろう。