小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

人に相談したところで答なんて見つかるはずがない理論

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多分...他人はほとんど信用していない。

家庭が家庭だったこともあるが...親の言うこともなかなか信用出来なかった。

実際に自分も成人し、真実が露呈したらば...

 

「やっぱり信用しなくて良かった」

 

のだから...人の言うことは「信頼した方が良い」なんて気にはさらさらなれない。

 

「悲しい」とか「寂しい」とかの感情的な気分は全くない。

 

感情が無いとは思わない。

映画やドラマを見ても人並に感動するし、人の仕事姿が好きなので、それ見て感心してしまうことも多いぐらいだ。

 

なので、「コレで良い」んだと思っている。

 

利益相反行為」という言葉がある。

人と人との関係は「そうなりやすい」から生まれた言葉なのだろう。

「そうなりやすい」のだ。

身内であっても。

 

そりゃあ教育の行き届いた立派なご家庭であれば...

「お互いがお互いを思い合って」そのようなことは絶対にないのかもしれない。

 

が、残念ながら生まれた実家での生活でも...

現在の家庭でも...

そんな神々しい関係は出来ていない。

むしろ「自己主張の嵐」が吹きまくっているぐらいだ。

 

「自分のため→結果家族のため」

になるだろうことぐらい...普通に想像出来ることであったとしても...そのための自己犠牲になることは拒絶される。

 

そんなものだ。

 

「そんなに人を信用出来ない人生なんて寂しい奴だ」

 

という人に限って...

鵜呑みにしてしまったがための失態を尋ねるなら...

 

「私はそんなことは言った覚えはない」となる。

 

そんな無責任な言動自体をそもそも頼ってどうするのかというところだ。

 


だから...

「人に聞く」「人に相談する」という習慣は失せた。

 

本心を訴えたからといって...共感されることよりも...

むしろ言葉の枝葉から要らぬ邪推を招いて...

不審がられることに向かう場合の方が圧倒的に多い。

 

昨今のSNSの言葉尻を捉えた炎上具合を見れば一目瞭然だ。

「わかって欲しい」なんて甘い願望は焼き尽くされて...

身に覚えの無い非難どころか責任騒ぎまでに燃え盛る。

 

「言わなきゃヨカッタ」のだ。

 

だから...「じっくり考える」作業においても、一番重視しているのは...

「”自分に”相談すること」。

 

他人同様とまではいかないけれども...

「厳しい第三者になりきる」ことが出来るなら...

結構近い線まで行く...

 

そして...その「相談」で結論出ないなら...

次は「自分で試してみるしかないな」と...

 

いわば「自分で実験」だ。

 

結果。

朝から寝るまでずっと実験が続いているような日常。

 

ということは...

それだけ「試してみなけりゃわからないことだらけ」だということであって...

そんなややこしいことを...

他人に聞いたところで...

「わかるはずがない」

のは明解か?(笑)