小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

そもそも厚かましいわね

 

 

こういった話を続けていると...

なんだか「心のお話」が大好きな人のように思われるかもしれないけれども...

 

好きではない。

 

自分を動かしているのは自分の脳みそなので....

自分の脳みそに働きかけてはいるけれども....

他人の脳みそなんて動かしようもないので...

そんなことを考えるのは...時間の無駄だと思っている。

 

”心”を...優しく、繊細なものだとお考え方の人も居らっしゃるかもしれないが...

まず最初に...”心”なんてものはカラダのどこにもない。

”心情”などと表現するから紛らわしいんだが...

心情ではなく...言うならば...脳情だ。

 

自分の”心”は頭の中での創造物。

 

なんだか”心”は脳とは別のところにあって...

とっても美しいもののように扱われるんだけど...

現実は...誰しもが、けっこうグロテスクで自分を優先したい身勝手な脳で創造している。

 

ただ...表現にさえしなければ...

誰にも邪魔されない領域でもある。

脳の中で何を考えているのかなんて...

他人にゃ覗けないので。

 

と言うことは....

極めて我儘に偏りやすい部分でもあるはずなのだ。

 

自分内で帰結するなら....

「どうぞお勝手に」

で済まされるだろうけど...

 

その部分が...脳の中を飛び出して...

他人に強要するならば....

そりゃあ気持ち悪いことになる。

 

強要までには至らなくても...

とんでもなく身勝手で我儘な理屈なのに...

「わかって欲しい」

なんて言われると...

そんなものは...気持ち悪くて理解したくはないのだ。

 

「お互いの気持ちが大切ですから」

 

なんだソレ?

お互いの脳の中で考えていることを斟酌し合うってことか?

なかなかに気持ち悪い。

 

聖地エルサレムは人間に”心”なんてないことを象徴している。

”心”をはぐくむ宗教であるはずなのに...

考え方の違う人は遮断だ。

「わかり合おう」とすらしない。

 

「頭の中の自分の都合」を譲らないから....

”同じ場所”なのに

三つに分けて解釈しなきゃならなくなっている。

まとまるなんて兆候は一切なく...

譲り合い、わかり合う余地すら無いとしか見えない。

 

どころか...

憎しみ合い、殺し合っちゃっている。

 

自分の主張を強くするってことは...

他人の脳をゆさぶるってことで...

 

そんな身勝手な行動は...

心地良いはずがないだろうって考えるのが普通だと思う。

 

あくまでも自分の脳みそに刺激を与えるために

こんなくだらないことを書いているだけであって...

 

人がどう思うとか

人にどうして欲しいとか

そういうことにはほとんど興味はない。

 

自分も他人の本音なんてわからないので...

「自分の本音だけわかってね。」

なんて....厚かましくて思えない(笑)