小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

俺のジグソーパズルは絶対完成しない(笑)

f:id:okutavianus:20201004165022j:plain



 


「大志」や「野望」や「目標」は”努力”に近づきやすいのだろう。

「大志や野望や目標が無かった」自分は...ゆえに「努力」にも遠かったようだ(残念!)

 

「週のルーティーン」の一つ一つは全く大したものじゃない。

せいぜい「注意点」...ぐらいなもので、普通は「努力」とはみなされない...程度のもの。

 

でも...「努力を習慣としない」前提で生きてきた自分にとっては「貴重な時間」「貴重な方針」「貴重な習慣」なのだ。

程度は低いものの...

ゼロか1かの...いや、×か〇かの違いぐらいはある。

無は永遠のゼロだけれども有は1ではなく、ひょっとしたらば...100かも...1000かもしれないのだから...

 

努力はしない割には...

「やる」「やらない」だったら...「やる」を選ぶ方。

それも同じ考え。

無は永遠にゼロ。有はいくつになって跳ね返ってくるのかわからないから。

もちろん...「悪事」になって跳ね返ってくることもある。

そらま、しょうがない(笑)

 

ルーティーンの数々は自らの前向きな意志で増やしてきた...

ようには思えない。

21年前に「走り出して」から...

何故だか「足りないもの」「欠けているもの」「間違っていること」が剥がれ落ちるように露になって...(今をも続いている現象)

それらを修復するかのように...

ルーティーンは増えてきているというわけ。

 

ある意味サグラダ・ファミリアだ。

「いつ完成するのか?」わからない努力の集積だ。

 

ん?

ジグソーパズルに例えた方が早いか?

21年前までは...

本当は正しくないピースでも、無理やりハメこんで「一人前に見える」ように繕ってきた...んだろう。

手っ取り早い「見栄え」重視ってところか?

安易な自分らしい...

 

だけど...

そんなピースばかりが増えてしまったあまりにもインチキなジグソーには...もう次のピースがはまらなくなってしまった...

んだと思う。

 

人生に...「手っ取り早い方法」はないようで...

そこから進むには...

間違ったピースを剥がして...

「もう一度正しいピースを探して」

ハメ直すしか...ないと判断したんだろう...

 

もっと「お利巧な」手段はあるのかもしれないけれども...

案外自分はこのルーティーンに不服はない。

大したものじゃないけれども...

修行僧が洞窟を掘り続けたり...

滝に打たれ続けたり...

断食を続けて...ミイラになったり...したことは...

「苦しいだけ」の思いで続いたようには思えない。

 

「昇華」というには大袈裟なんだろうけど...

少し...心地良かったりも...するわけだ。

垢が剥がれ落ちるというか...

醜い部分を少しだけ削りとれるというか...

清々しいってのかな?

 

だから...

完成形なんてなくてもいいのだ。

作業自体に意味があり効果があるような気がしているので。

そもそも...もう間に合わないのだ。

死ぬまでにの完成には。

 

気が付いたのが遅すぎるので(笑)

 

言い訳dethッ!

f:id:okutavianus:20201002075834j:plain



 

「コレがあったから...」といううものではないのだろう...

多分...月日が経ってしまって...

「他人事」のようだから...

ドラマの端役のように「自分」を見られるようになってきた...

んだと思っている。

 

順番は別として...

遊びに溺れ、女に溺れ、タバコに溺れ、酒に溺れ、パチンコに溺れ、麻雀に溺れ...

親に甘え、友人に甘え、社会に甘え...ていたくせに...

 

そのくせに...

思慮に足りず、考えるところに足りず、努力を怠っ...ていたくせに...

 

どうしてあれほどイキりたち...

人のせいにし、社会のせいにし、政治のせいにし、親のせいにし、大人のせいにし...

どうして...

「自分のせい」にはしなかった?

 

...いや...知っていたはず。

見えていたはず。

 

ただ...「自分のせい」にした途端...

「巨大な(本当は普通なんだろうけど...)”努力の壁”が目の前に現れて...

とてもじゃないが怠け者の自分じゃ対処出来ないだろうと...

 

逃げてきたんだろ?

 

自分だけでも...

変わりましょう

努力しましょう

反省しましょう

なんてチャンスは山ほどあったはずなのに...

 

こすっからく、要領よく、そこをすっ飛ばした。

 

あはれだ。

泣いていない。

むしろ笑える。

あまりにもあはれで。

 

悲しんでもいない。

呆れている。

あまりにも愚かで。

 

ドラマのように”一瞬で気が付く場面”になんて現実世界じゃ遭遇しない。

「俺...なんか...オカシいんじゃないか?」

”気づき?”とでも言うのだろうか?

そんなところに妙に敏感になってきて...

誤魔化しきれない”わだかまり”のようなモノが堆積して...

自分が...

なんだか気持ち悪~い生き物であることを否定出来なくなった時から...

 

「変わりたい」

 

ってな気持ちが生れるんじゃないだろうか?

 

生れて初めて思ったのは...約40年前。

失敗した。

若過ぎた。

あまりにも「自分本位」過ぎた。

それじゃあ「変わる」のではなく、「自分の都合の良い自分」にますますなっただけだった。

 

次に訪れたのは約20年前。

少しは大人になったので...あえて急がないようにした。

完成形も追わないように意識している。

「やれるところまで」でいい...

失う以上の早さで身に付けられる道理はない。

 

最初に始めたのはジョギング。

たわいもない努力だ。

 

「走ること」を続けることさえ苦痛だったので、「増やして行こう」なんて前向きな気持ちは存在しなかったはずだけど...

それを機に何故だか一つずつ増えてきた。

 

「種目」に数えられないような...「注意しているところ」...といった努力点のようなものもある。

あまりにも増えたので一日ではやりきれなくて...

「一週間で片づけるノルマ」としているモノも多い。

 

いわば「週におけるルーティーン」がある程度確立されてきている。

ので...

そこは...

こんな...怠け者の自分でも...

怠れなくなっている。

 

いや、人生の長さからしても...

20年前の”気づき”はおそらくラストチャンスだった。

そこで下りてきた細い蜘蛛の糸を自ら引きちぎるように”放棄”するならば...

もう血の海から脱出する機会は無いのだろうと...

勘違いで過ぎた人生を

一つずつやり直している毎日だ。

 

そんなルーティーンがある。

あまりにも増えすぎたので...

会員権も売り飛ばし、ゴルフという趣味も辞めてしまうほどに(笑)

 

だから...

ブログの更新もなかなかおぼつかない...

って...

単なる言い訳か?(笑)

自傷行為 

f:id:okutavianus:20200924093412j:plain



 


案外忙しいのでついつい”間”が空いてしまう...

 

小説家を目指したこともなければ、読書感想文を書くことさえ嫌だったぐらいだから...

こうして文章を書いていること自体おかしいんだが...

いわゆる「表現の自由」ってのをお借りするなら...

誰が、どんな目的で、どのような文章を、書いていても良いわけで...

それはやっぱり音楽や美術にも通じるところがあるのだとすれば...

「なるほど」

とは思う。

 

が、「自由」となるなら...

「書かなくてはならないもの」

でもないし、ましてやお金を払ってまでも期待される文章でもないのなら...

生活を犠牲にしてまで書くこたぁないだろうと...

ノンビリやっているんだけども...

どうせ書くなら...

せめて「自分のお役に」立てるものにはならないかな?と...

これでも考えて...

あんまり役に立たないことは書かないようにしているから...

 

ついつい間が空いてしまう。

 

というのはある。

つまり...

「書いていない時の方」が

「案外気を付けて生きている」。

 

おしゃべり同様、

調子に乗ってきたり

気が弱ると

ついつい口が滑る、いや筆が滑る。

 

聞いてもらいたから。

吐き出したいから。

 

たわいもない程度のことならいいんだけれども...

「口に出さない方がいい」

ってことは少なくないように...思っている。

 

悪口や、僻みや、恨みや、嫉妬や、弱音などはもちろんなんだけれども...

目標や、計画や、意気込みや、執念だって...心の奥底にしまっておいた方が良い場合は多いぐらいだと思う。

まさしく...

公言したことによって...

気が楽になる=力が抜けてしまう

からだ。

 

見ず知らずの人にだから一見構わないようなもんだけれども...

安きに流れた自分を「自分は見ている」

 

吐いてしまったのは...実現出来ない時の”言い訳”の前説だ。

つまり...吐いてしまった時点で...自ら”自信”を消失させている。

 

弱音や嘆きや愚痴の一切がいけないものではないのだろうけど...

「気軽に吐いてしまったこと」

がさあ...自分のためになるのだろうかということ。

それが習慣になってもしまうなら...

”本音”という包装紙に包んだ”弱音”の垂れ流し...

ってなことにも無意識のうちになってんじゃ、いや、自ら「してんじゃ」ないのかな?

というところ...

 

極端な例が登場した。

本当の原因はどうだかなんて知るはずもない。

が、これまで伝え聞くところによれば

山口君も瀬戸君も

様々なストレスを抱え、発散したくてたまらな...のはわかる。

 

が、「~のしてしまったこと」...

は...「ついつい書いてしまったこと」

とさほど動機が遠くはないように思えるのだ。

 

「いやいや書くことで納めているならば...誰も傷つけていないんだし...」

 

ってそうかな?

少なくとも「後々の自分」を傷つけていたりしないのかな?

未完成?不安定?

f:id:okutavianus:20200918092136j:plain



 

当たり前に自分はサグラダ・ファミリアでもなければアントニ・ガウディのような知見があるわけでもない。

努力だってむしろしたくはない方だ。

南の島でゆっくりしたい(笑)

 

なのに...ましてや結果に遠回りと言えるようなトレーニングだったり、資格だったり、何のためだかわからないような準備を整えるのは「どうしてなのか?」

 

日頃あまり考えたりせずに進めて行く方なんだけど...

こうやって一息ついて考えてみるならば...

そりゃもう「完成していない」からでしかない。

 

いや、完成後の姿さえわかっていないものを

「完成させようと」しているんだろうけど...

実際は

「ずっと完成していないまま」なのだ(笑)

 

こういったルーティーンに覚醒したのは21年前にもなる。

最初は...

よく覚えていないが...

ともかくなんだか...

「今のままじゃ駄目だ」...と思ったから...だったと思う。

 

かといって「どんなんが良いものか?」見当もつかなかったので...

もう思いつくこと、やれること、手あたり次第に...

なんだかやってきていたんだろう。

 

五か年計画とか言っちゃってるけど、事前には実はそれほどの計画があったわけじゃない。

「大体五年後にはこうなっていたいなぁ...」

ぐらいのものだ。

 

それで死ななきゃ五年経つ。

計画というか目標が低いせいか...

案外到達していたりする。

 

でも...それで終わらないのだ。

 

「もうちょっとどうにかなるかな?」

そしてまた五年...

で、また同じように五年...

ついには21年で、「期限だけは」念願のゴールまで続けられたというのに...

ゴールに「次」なんてないはずなのに...

 

また新しい一歩を踏み出している。

 

これはコロナのせいばかりじゃないだろう。

 

冒頭の例よろしく...

きっと完成してしまうなら...

それこそがゴール。

本当の意味の「終わり」であって、それは人間で言う、今大流行りの「death」に等しい...ってことのような気がする。

 

有難いことにまだ「death」じゃあない。

この先途中で意識を失ってしまえば別だけれども...

とりあえず意識のあるうちは

ゴール

にはならないのかもしれない。

 

ジブリ作品で一番好きなのは「ハウルの動く城」なんだga...

きっとあそこにも

「未完成だからこそ...”動き続ける”...」

ってな思いがあるような気がする。

 

”完成”は...ある意味「終わり」

もうそれ以上にも以下にもどうにも変わらない。

異常なほどに「安定はしている」けれども...

小さな芽吹きの変化すらない。

何の変化もないのだから...退屈といえば退屈な状態だ。

 

嗚呼...

そういやそう確信して前職は辞めたんだっけ(笑)

 

じゃあ、「不安定」という自分が求めていた道?を歩んでいるだけなんだ。

 

未完成?不安定?は悪いこと?

未完成、不安定だかこその充実ってのがあるような気がする。

あしたのジョー」の魅力もそんなところのような気がしてきた。

サグラダ・ファミリア

f:id:okutavianus:20200915084049j:plain



 

単に語呂が面白いから話題になるんだろうと思っていたんだけど...

完成してしまいそうになって...

「なんだか残念...」

な気持ちが沸くのは何故?

 

というところで初めてこの価値に気が付いた気がする。

 

完成すりゃいいってもんじゃないか...とか。

 

道半ば...

ってよく聞く。

 

いかにも「途中で終わってしまって...残念」というニュアンスが伝わるんだが...

「”道半ば”が最高潮!」...ってことはないのだろうか?

「”道半ば”こそが充実している」...ことはないのだろうか?

 

一旦「ゴール」を終えたあと

再び競技場に連れ出されたような

自分は

ある意味

一瞬「完成」を味わったつもりなものが...「未完成」に舞い戻ってしまうという臨死体験のような生活になっているわけなんだが...

 

不思議なことに「疑似完成」の前の「未完成状態」は不安感の方が大きくて気が付いていなかったんだけど...

完成を疑似体験して舞い戻ってみれば....

「未完成状態」でいることは...

ささいであっても...

「この先に”楽しみ”も残してある」ということでもあるのか?

少なくとも...

不安で不幸な時間ではないかな?ぐらいにはなっている。

 

結果最重視論者の自分が言うのは可笑しいんだけど...

実は案外...「結果を出すまで」...が面白いのかも。

 


ん?ってことはだね...

サグラダ・ファミリアって...

「永遠に未完成状態を維持する」ことが...「完成」なのかと...

 

まあガウディぐらいにもなればそれぐらいヒネくれているんだろう(笑)

落書き王バンクシーの例のオークションシュレッダー作品もその仲間なのかな?

 

なんだか完成を誇らしげに掲げる人間への

あてつけ

のようにも見える(笑)

 

その辺は私が「大志を掲げる」を嫌うにも似ているのか?

失われた40年(何年でも増やせる...笑)

f:id:okutavianus:20200913100533j:plain




ひょんなところから...

「1950年から2016年までの日経平均株価のグラフ」

が出てきた。

 

なかなか興味深かった。

株価は、「長~い目で見るもんだ」と言われるが...

それでも70年にわたって見るって機会はない。

せいぜいのところ「この10年」

 

だから「失われた10年」なんて「わかったつもりのような評価」を下しているんだけれども...

この期間...1989年を境にして...全く違う線状になっている。

 

1950年から1989年にわたっては...

「ほぼ右肩上がりで最後は急激な上昇カーブ」

いわゆる「高度経済成長とバブル」

ってやつ。

 

年々や個々の細かな不景気はあったのかもしれないが...

グラフからは読み取れないほど。

 

に対して...

1989年から2016年(現在と言ってもいい)は...

恐ろしいほどの上下動。

ジグザグな経済の上を生きている。

しかも低い領域で。

日本人は。

 

境となっているのは...

1989年年末の日経平均最高値だろう。

まさに...

過去の栄光...だ。

 

何がアフターコロナでウィズコロナだ。

とっくの昔から

もう三十年以上も

アフター好景気でウィズ低迷経済の範疇に「閉じ込められて」いるじゃないの。

ガッツリ。

 

数段大きな波に飲み込まれて三十年以上も脱出出来ていないというのに...

今更にささいなコロナで大騒ぎしている。

コロナ以前にコロナどころじゃない社会になっていたことにも対処してこなかったのに...

 

まさに木を見て森を見ず

 

なんだろう。

 

そのグラフを見ていると...

アフターコロナに成功したとしても

アフターバブル崩壊を克服しないことには

「失われた40年」へと続くだけ...

 

のように...見える(笑)

 

天から暇が舞い降りる

f:id:okutavianus:20200908080537j:plain




そうは言うものの...

コロナが拡大し始めた3月頃は

アフターコロナ

なんて頭の片隅にもなかった。

 

良く言われる2年はともかく...

とりあえず1年は...

出来るだけ縮こまって

被害を最小限にして

やり過ごすことばかり考えていた。

 

転機は奇しくも例のご破算になった話。

 

具体的に進展したのは5月。

「こんな時期に積極的に事業の展開を考えているところがあるの?」

シンジラレナイ話だった。

「嘘だろ?」「何か裏があるんじゃないか?」

 

結局はムコウからの破談なので、悪質ともいえる話だったんだが...

調べてみても悪質の経歴のない会社なので...

ま、コロナのせい

ということにしておこう。

余分な恨みなんか抱えたところで良いことにつながるわけでもない。

 

きっと見込みよりもヒドい事態になったんだろうけど...

それでもだ。

この時期にひるまず未来に布石を打とうとしている人達が居ることに驚いた。

というよりも

完全に亀になることを決めていた自分が情けなかった。

 

だから

その日から

どうせ暇なんだから

この暇に将来のことを考えよう

としてみたらば

「これまでにやれていないこと」

「これからやるべきこと」

が、

「忙しいったらありゃしない」

ぐらいに..

山ほど出てきた...

 

というわけ。

 

世の中、誰のせいで、前向きになるのかわかったもんじゃない(笑)