小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

ちょっと待て!

 

ありゃりゃ...

つい...二週間も更新が空いてしまうほどに...相変わらずまあまあ忙しい。

 

が、これでも「以前とは違うスタイル」を模索していて...

”ついつい急ごうとしている自分”をに気が付くと...

一瞬だけでも立ち止まり...

そこで「走らない」選択をするよう促している。

 

まだその”効能”を語るほどの成果を出せているとも思えないんだが...

”この欠点”に気が付く前の(ほんのちょっと前だと思う)自分は...

何の”必要”も”利点”もないことに...こめかみ血走らせて「急いでいた」ことを思うと...

意味もなく大切なエネルギーを垂れ流しにしていたんだと思う...

 

そんなにもノンビリとは生きていないんだけれども...

最近は...それに加えて...”車を降りて歩く機会”も何故だか増えている。

あえてそうしているわけではないんだが...

それとともに...

エスカレーター歩行」が禁止になってきたからか...

エレベーター利用とか、普通の階段利用とか...これまでとは”違った”移動手段の利用も増えてきた。

 

そうなってみると...不思議なことに...「いつも通っていた道」だったのに...

「知らなかったこと」が多いこと...に気づかされる...

 

そんなにいつもいつも競ってきたつもりもないし...

「一番」だけが人生だとも思っていなかったつもりだけど...

戦後育ちの父親の「早いもん勝ち教育」の影響は小さくないのかもしれない...

「とにもかくにもとりあえず早くに」

は仮に答があっていなくても...「加点」があるような気がしていたようだ...

 

「ウサギと亀」の本当の決着は知らないが...

「勝負の分かれ目」は...

「早さだけ」じゃない...ことぐらいは気が付き始めている。

 

ちょっと遅すぎるかな?

いや、遅すぎるってことはないだろ...と言い聞かせている最中(笑)

程度




懸念されてたトレーニングも再開して一月半になる。

 

が、これまでとはちょと違う。

まずもって”強要度”が...

「できるだけ毎日」→「やれる日は毎日」なのだ。

ほとんど同じように見えるが、本人からすると...古館伊知郎の言う

「おき」に、と「ごと」に、ぐらい違う。

なんせ...

「やれない日」は「やらなくてもいい」のだから。

 

そして量・回数。

一応”中断前の回数”を目標としている。

が、これもまた...

「必ずしもそこまでやれなくてもいい」のだ。

もう少し細かく言うなら...

「そこを目標として、疲れたりせず、故障したりしない程度の最高回数まで」...なのだ。

 

たったこれだけの「改定」なんだが...

涼しくなったこともあろうけど...たったこれだけのことで...

そんなに辛くもなくなったし...なんと一か月も大体やれている...のだ。

 

「北風と太陽」ほどじゃないが...

やっぱり古い人間なんだろうか?

慶応高校の野球部監督には共感できないし、どっちかと言えば自分にも「北風」だったんだろう...

その「北風対応」は必ずしも「好結果を生む」...わけではないようだ。

 

「仕事」「その他」にもコンナカンジ。

最近は...

「やれるところまで」で「良い」としている。

仮に...予定として「一日10個ある」のなら...

「手を抜かずに8個しかやれなければ」...そこでOKと言うこと。

以前のように「無理をしてでも10個やる」ということを「しない」ということだ。

 

「楽をしたい」

というよりも...

その無理が...「急ぎ」を生み、「焦り」を生み、ひいては「イラつき」を生み、雑になり、さらには誤りを増やし、「出来損ない」を量産する源だったのかと...

 

「焦ってまで急ぐ」

と言う状態は...

「注意力が落ちている」

というのと同じ状態。

だということに気が付いた。ということにしている(笑)

 

最近スケジュールの急変等にも割と落ち着いて対処出来ているのは...

決して気候が良くなった...だけじゃないと思っている。

これで...十分




一挙に涼しく(寒く?)なってきたからか...頭の方もかなり冷やされてきた。

 

考えてみれば猛暑の前は早い梅雨で...結局5月末から9月末までの四か月間はなんだかずっと不愉快な気候を過ごしていたわけだ。

 

さらにはコロナのおかげで3年振りとか言う催し物が盛沢山になってしまって...

体調が悪い上の気持ち悪い状況も続いて...

なんだかよく覚えてい四か月だ...

こんな夏も初めてだと思う。

 

これでも暑さには強い方で、簡単にバテもしない。

エアコンをつけっぱなしで寝るのだって年に10日ぐらいなもんなんだが...

今年は2か月ほども続いた。

その”ダルさ”も重なったのかもしれない。

 

”異常気象”とか”温暖化の探求”は専門家の先生にお任せするとして...

とりあえず今年は「自分のせい」にすることにした。

 

「歳のせい」「曲がり角」「下り道」...

 

なんやかんやで小学校5年生ぐらいから「あんまし変わらない気分」でやってきたけど...

んなわけがない(笑)

けっこうしばしば「死」を意識したりもする。

 

ということはだね...「死にかけてきた」...ということなんだよね。

きっと今年はそれを...

「痛感させられた」

んだろう...

 

「哀しく」捉えるつもりはない。

そんなことを言っていたらば、今後ずーっと死ぬまで「哀しんでいなきゃ」いけなくなる。

 

よく言う「しょうがない」のだ。

「しょうがない」時が来たのだ。

 

地震は起こって欲しくない...

台風も出来たら逸れて欲しい...

でも、そうはならないこともあるように...

歳を食うのも「しょうがない自然の摂理」...

 

避けようはない(笑)

 

のである。

 

とりあえず”それ”への対処法なるものをあれやこれやと試しているけど...

さすがにブログで検討を重ねてきただけあって...

「なかなかによろしい」

 

少し自慢げに、しかも都合よく言い方を変えるなら...

「加齢によって滲み出てきた悪癖の修正」

とでも言おうか...

 

少しポジティブになり、カラダも軽くなってきた気がする。

 

おじいさんになってまで...星飛雄馬のような「重荷」を背負わせたような「生き方」自体が...

重すぎた...のだ。

カラダににもココロにも。

 

重すぎて...動けなくなっていた...のかな?と思う今日この頃。

 

全然絶好調とまではいかないまでも(もう、そういうことはないだろう...)

悪夢の四か月に比べたら...随分と快適な毎日。

 

これでいい。

これで十分だ。

そういや昔は全然違った(笑)

 

先日お袋と話をしていたらば...

「本当に勉強しない子」だったらしい...

いや、「お父さんと一緒で、遊んでばかりで努力をしない子」だったらしい。

 

その通りだ。

思い出した。

そういう人間だった...はずだ(笑)

なのに...一体どこで?

 

恐らく1999年だと思う。

世の中は「間もなく記念すべきミレニアム元年!」とかはしゃぎ始めていた。

 

特別能力があったわけでもないのに、「バブル崩壊」までの「順調日本」で過ごしてきた自分も...

随分と”自惚れ”、なのに”のんびり”もしていた。

ユーミンの選曲集に「MATTARI」なんてのもあったりしたぐらいだからか...

「お父さんと一緒で遊んでばかり」で居られたのだろう...

 

ご近所の国でもそうだけど...テレビ局を含めてやはり「エリート層」は盤石なのだ。

大半の国民が飢餓で苦しんでいる様になっても....パレードだったり、国威発揚だったり、スポーツ観戦だったりと...

そしてそれらを広報するので...平民の苦境なんて...「あるの?そんな実態?」なのだ。

バブルが崩壊しても彼らの住まう首都だけには「お金が集まる」仕組みになっているので...「どうってことない」のだ。

日本も一緒だろう。

アホな自分もそんな空気で誤魔化されていたようだ。

 

が、平民の実社会は「バブルの崩壊」で様変わりして...そして10年経ってもいた。

なのに...それが痛くも痒くもないエリート層とマスコミにいなされて...庶民も大した反省もなく...

「いつかはまた好景気がやってくるさ」とノンビリ10年過ごしていたから...

実態は「本当に失われた10年」

などと自虐するハメになっていたのだ。

 

なんのことはない...「自分も」だ。

”自惚れ”ていられたから”のんびり”過ごせられていた人生だった...というだけで...

衰える国力とともに...自分も連動するしかなく...

「失われた10年」

というキャッチコピーで気が付くという...

哀れなサマ。

 

「まあ平均点以上のまずまずの生活ね」と勘違いしていた実態は...

「大海に浮かぶ小舟程度のような存在で、何処に居るのか何処に行けるのか、嵐でも来るならどうなってしまうのか?...」

そんな存在でしかない。

 

...ってことを思い知ったんだろう...

このブログのタイトルにある「小舟から」はその頃からの自分への皮肉というか...

戒めだ。

ま、「蛙」でも良かったんだけどね。

井の中の蛙大海を知らず」の蛙でも(笑)

 

自分の程度もわきまえず、自分の能力もわきまえず、身の程知らずのモノとヒトを抱え、大きなことを言っていたことが...

維持できなくなってきていた。

自信も失っていた。

 

経済的にかなり追い詰められてきていて...

「どんな未来にしたいか?」

「そのためにどんな努力をすればいいのか?」

全くわからなかった。

 

当然だ。努力をしたことがないのだから...

「頑張らなきゃ」「頑張りたい」気持ちはあるのに...

「どうしたらいいいのか?」

いい歳こいて...

「全くわからなかった」のだ...

 

日本の「失われた10年」を論評している場合じゃなく...

自分の人生が「失われているほどの呆けた10年」だったということに...

気が付くべき時が来ているんじゃないか...

そして...日本じゃなく...「自分を」どうにかしなきゃならないんじゃないの?

と思い始めた時だったと思う...

 

何のキッカケだったか知らないけれども...

藤原紀香が教師役で出ていたテレビ番組のセリフでちょっと目が醒めた記憶があるようなないような...

 

なんかもう20年以上も前の記憶で曖昧なんだが...

ただ...そこから我武者羅にやってきて...

「その程度が」年齢からしたときに...「振れ過ぎて」しまっていたのかも?(笑)

 

なんにせよ、自分のコントロールが上手くない。

よく言う「等身大の自分を知る」はそんな自分に言い聞かせている標語。

 

もう「コペルニクス的転回」などいう大それた転身は出来るはずもない。

ただ...やっぱり人間は生き物なので...

「いつまでも同じ」は自然界では通用しないのだろう。

生きている以上、生きて行く上で、「変わる」ということは必要なんだとまた思わされている。

 

ちょっと楽かも

最近...正直...「楽」だ。

 

仕事等「こなす量」が変わったというわけじゃない。

強いて言うなら...まず気温が下がった。

これも大きいだろう。

 

もう一つ。

「やり過ぎない」「頑張り過ぎない」等の「過ぎない」を意識するようになったので...

当然に「疲れるほどにまでは”過ぎていない”」のが大きいんだと思う。

 

心配ご無用。

もともとのDNAが「過ぎる」にある方なので、恐らくこれでも、ちょこちょこと...”過ぎている”のだ。

ただ...ちょことちょこと...「過ぎているのかな?」からが...

以前であれば...

「これきしのことで...」

と...「さらに頑張ろうとしてしまう」...のに対して...

最近は...「ちょっと休憩かな?」「ここらでやめておこうかな?」ぐらい”違う”。

果たして「成果は?」...

 

大して変わっていない...

と思う(笑)

 

というのは...「一日単位」で見た場合には「違い」はあるのかもしれないんだけれども...

三日も続くなら「嫌になってしまう」”過ぎていること”と...

途中途中で休んだり、中断を入れて”余裕を残した状況”とでは...実感「かなり違う」のだ。

 

正直...も少し「ぐ~たらな世界」を予想していた。

が、案外そうでもない。

比較論で言うならば...

「毎時毎時頑張っている割には(からかな?)”疲れて”もいて、前向きではない自分」状態に対して...

「そこそこ頑張っているだけなので...とっさの用事や出来事にも肝要に対処出来たりする」状態なのだ。

 

星飛雄馬も大変だったんだろうなぁ...」と思う始末。

肉体だけでなく、精神状態も、きっとパンパンだったに違いない。

 

「頑張っている」とは言うものの....自分に余裕を許さないような生活を強いているのであれば...

そりゃあ妙にゆったり生活しているヤツなんか見ると...なんだかそれだけで妙にイラっと来るよな、と...

 

人は人、自分は自分って言ってるくせに...

パソコンと一緒



 

実は...先週、突如パソコンも壊れた。

 

マシン自体はまだまだ購入後3、4年で、決して古くもないんだけれども...ハードディスクの中のファイルは古いものなら30年以上前からのものがあったりする。

「必要だ」と思って保存していたものではあるんだが...それはその「当時の瞬間」の判断であって...”保存”を決めてから...「削除した」という作業はほとんどしたことがない。

なので、どうやら、要するに...ファイルの詰め込み過ぎで...「ストレージの容量不足」になっていたようなのだ。

 

スペックの小さな頃からのパソコン愛好家なので、「ゴミ箱」の掃除やら「ディスククリーンナップ」やら「デフラグ」は日常だったんだけれども...

ついには限界が来てしまったのか...

 

もちろん今ででさえ「とっておきたいもの」「とっておくべきもの」として保存しているものもあるんだけれども...

「じゃあ引っ張り出して見ることがあるのか?」と言われたなら...相当な部分...実際にそういうことにはならない...

なんせ...「古い情報」「古い記録」なので...

若かりし頃の私服同様...「もう完全に必要ないでしょ」ってもんのが断然多い。

 

なんだかタイミング的に...奇しくも”自分同様”だ。

ファイルの掃除をしながら、自分の脳みそや気持ちの整理をしている気分になっていた。

決して「若ぶっている」つもりはないんだけれども...そんな以前の自分の流儀や考え方や作戦が「役に立つ」と考えている時点で、ちょっと自惚れ過ぎている...

自分の退化と相反して社会も進歩しているのに...

 

さらには...大量の情報を扱えるパソコンに比べた時の「自分の脳みその小さなこと」。

そんな”不要物”までたくさん引き連れて毎日フル稼働しているんなら...

そりゃあ「パンク」もしてしまうわな...パソコンよりも先に「自分が」...と。

なんだか苦々しく笑えた...し、二週間違いぐらいだけど、やっぱり「自分が先に」パンクしたってことなんだろう。

 

まだまだ全部とは言えないけど...ある程度不要なものを削除したりSDカード保存に切り替えたりしたらば...

二日ほどで大体違和感なく動くようにはなってきた。

 

なんだかなぁ...だ。

 

若い頃の自分の”がら空き”のスペックなら、1時間仕事を一日10個のスケジュールでも予定通り10時間で片付けられたんだろう...

が、それが...いつまででも出来る...はずはないわね。と、言うことと一緒なんだろう。

 

改めて今回の自分の方針転換というかペースダウンは...

「撤退」ではなく、「現状にフィットさせていく手段」として、必要な手なんだと「パソコン」に納得させられた現象にもなった。

また来た!神のお告げ



 


あれだけ不調だった体調が戻ってきている。

「すぐにいい気になるDNA」なので、ブログには書かなかったけど...

ここ2週間...安定している。

 

ただの...暑さが収まった...だけのことなのかもしれないが...

...やっぱり”いろいろと過大、過分だったのかなと”...

 

一つの例をとるなら...筋トレ。

レーニングを開始した39歳の頃には...これ自体がなかった。

あまりにも痩せなかった...からの追加メニューだった。

 

最初は2種類ほどで各2セット。

回数が多くならないように負荷の多めのものを...10回/5回...なんてぐらいだったかな?

そこから増やして...

6種類を35回/18回出来るようになったのが最頂点。

50歳頃だったような気がする。

それが55歳頃をピークに減少に転じた。

いわゆる...「出来なくなったきた」だ。

 

まあ今は”歳のせい”だというのは当然に理解しているんだけど...

「出来なかった」もしくは「故障した瞬間」というのは「突然の出来事」で、いわば「歳のせい」よりも「不調」と感じてしまうものだ。

...ただ...先日まで...その「希望的勘違い」は続いていたようだ。

 

しばらくの間中断してみた。

それも初めて。

そして一旦リセットし、ゼロベースから...「しんどくなったら即やめる」

で、再開したらば...ひどいのは10回/6回だったりして...ちょと笑えた。

現存する能力よりも...相当に”無理”をしていたということだ。

 

多分...仕事も含めて全部そう...なんだろう。

なにもかもを「今日中に」完了してしまいたいのだ。

幼少の頃のプラモデル作りのように。

 

8月までは目一杯入れていた(それが習性)スケジュールも...

意識して一日の限度を「もう一つ、二つ出来るかな?」ぐらいの量に下げた。

時間で言うなら一時間分ほどかな?

余裕を作ってみた。

 

そしたらば...

少しギックリも直り、肩の凝りも取れ、全体的に楽になって...昼間の睡魔も少なくなってきたのだ。

 

”異常な暑さ”のせいだったのかもしれないが...今回は「そう考えない方が良さそうだ」という結論に至っている。

 

「もう歳なのだ」

 

隠せるかもしれども...自分のカラダには...誤魔化せない「歳」になったのだ。

 

”それ#を認めようと思っている。

諦めたわけじゃない。

が、”認めた上での”...”努力”の程度でいいのだ。

いや、そうじゃないと...むしろ...”努力”で”一生懸命”自分のカラダを蝕んでしまうのだ。

 

哀しいとか、切ないとかじゃない。

これが、”生き物”の通る道。

”残る人生”これに順応しないことには...

想像していない短期間で「朽ち果てる」か...これまた想像していないぐらいの延々とした「苦痛な毎日」になるか...

その岐路だったのかな?と...

 

なんやかんや言っても...

「神のお告げ」が来たんだろう。