小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

そういや昔は全然違った(笑)

 

先日お袋と話をしていたらば...

「本当に勉強しない子」だったらしい...

いや、「お父さんと一緒で、遊んでばかりで努力をしない子」だったらしい。

 

その通りだ。

思い出した。

そういう人間だった...はずだ(笑)

なのに...一体どこで?

 

恐らく1999年だと思う。

世の中は「間もなく記念すべきミレニアム元年!」とかはしゃぎ始めていた。

 

特別能力があったわけでもないのに、「バブル崩壊」までの「順調日本」で過ごしてきた自分も...

随分と”自惚れ”、なのに”のんびり”もしていた。

ユーミンの選曲集に「MATTARI」なんてのもあったりしたぐらいだからか...

「お父さんと一緒で遊んでばかり」で居られたのだろう...

 

ご近所の国でもそうだけど...テレビ局を含めてやはり「エリート層」は盤石なのだ。

大半の国民が飢餓で苦しんでいる様になっても....パレードだったり、国威発揚だったり、スポーツ観戦だったりと...

そしてそれらを広報するので...平民の苦境なんて...「あるの?そんな実態?」なのだ。

バブルが崩壊しても彼らの住まう首都だけには「お金が集まる」仕組みになっているので...「どうってことない」のだ。

日本も一緒だろう。

アホな自分もそんな空気で誤魔化されていたようだ。

 

が、平民の実社会は「バブルの崩壊」で様変わりして...そして10年経ってもいた。

なのに...それが痛くも痒くもないエリート層とマスコミにいなされて...庶民も大した反省もなく...

「いつかはまた好景気がやってくるさ」とノンビリ10年過ごしていたから...

実態は「本当に失われた10年」

などと自虐するハメになっていたのだ。

 

なんのことはない...「自分も」だ。

”自惚れ”ていられたから”のんびり”過ごせられていた人生だった...というだけで...

衰える国力とともに...自分も連動するしかなく...

「失われた10年」

というキャッチコピーで気が付くという...

哀れなサマ。

 

「まあ平均点以上のまずまずの生活ね」と勘違いしていた実態は...

「大海に浮かぶ小舟程度のような存在で、何処に居るのか何処に行けるのか、嵐でも来るならどうなってしまうのか?...」

そんな存在でしかない。

 

...ってことを思い知ったんだろう...

このブログのタイトルにある「小舟から」はその頃からの自分への皮肉というか...

戒めだ。

ま、「蛙」でも良かったんだけどね。

井の中の蛙大海を知らず」の蛙でも(笑)

 

自分の程度もわきまえず、自分の能力もわきまえず、身の程知らずのモノとヒトを抱え、大きなことを言っていたことが...

維持できなくなってきていた。

自信も失っていた。

 

経済的にかなり追い詰められてきていて...

「どんな未来にしたいか?」

「そのためにどんな努力をすればいいのか?」

全くわからなかった。

 

当然だ。努力をしたことがないのだから...

「頑張らなきゃ」「頑張りたい」気持ちはあるのに...

「どうしたらいいいのか?」

いい歳こいて...

「全くわからなかった」のだ...

 

日本の「失われた10年」を論評している場合じゃなく...

自分の人生が「失われているほどの呆けた10年」だったということに...

気が付くべき時が来ているんじゃないか...

そして...日本じゃなく...「自分を」どうにかしなきゃならないんじゃないの?

と思い始めた時だったと思う...

 

何のキッカケだったか知らないけれども...

藤原紀香が教師役で出ていたテレビ番組のセリフでちょっと目が醒めた記憶があるようなないような...

 

なんかもう20年以上も前の記憶で曖昧なんだが...

ただ...そこから我武者羅にやってきて...

「その程度が」年齢からしたときに...「振れ過ぎて」しまっていたのかも?(笑)

 

なんにせよ、自分のコントロールが上手くない。

よく言う「等身大の自分を知る」はそんな自分に言い聞かせている標語。

 

もう「コペルニクス的転回」などいう大それた転身は出来るはずもない。

ただ...やっぱり人間は生き物なので...

「いつまでも同じ」は自然界では通用しないのだろう。

生きている以上、生きて行く上で、「変わる」ということは必要なんだとまた思わされている。