短期間だが受験勉強も経験し、いくつかの資格試験も経験し、小学校の頃「頭が良い」とおだてられた自分は....
「地頭は良い」と思い込んでいた。
両親と同じように。
三人とも大したおつむでもないくせに、”競争しない””競争の結果を見ない”ことで自己満足の井戸から出ようとしなかったわけだ。
優秀な人の言葉によくあるように...
「書いてちゃ時間の無駄になる」
「書いている時間にもっと覚えられる」
「書かずに十分覚えられる」
....なんて標語?もあるようなんだが.....そんな超人列伝が自分達には似合っていると信じていたようだ。
が、何かの戒めか?思し召しか?
自分だけが井戸から出てしまったようで...
我が家のDNAはそんな超人ではないことを知る。
そんな時からだ。
ともかく「書く」ようになったのは。
メモからスタートしたと思う。
最初は意地でも書きたくなかったのか?ボイスレコーダーなんてのも利用した。
そこで...「書くこと」の効能は十分にわかった。
「書いている時間がもったいない」と教えてくれた学年一番の天才君はきっと「書かなくても」覚えられたのだろう。
が、自分は....勉強どころか、普通の用事でさえ.....「書かないと」簡単に忘れているのだ。
まあ、量を覚えなければならない”勉強”とはチョト違うのかもしれないが....
「書かない」>「書くこと」
は、自分の場合は成立しないと思い始め.....
できるだけ「書くように」した頃から、結果も出始めた。
もちろん.....そんなにも大した結果じゃないが.....
「頭の中」と「口先」で「誤魔化していた”結果”」とは違う”結果”が出始めた。
ブログを書き始めたのもそんな頃からだと思う。
早い話が....「書くこと」で、もっと結果を出したかったんだろう。
頭の中だけで決められないこと。
整理できないこと。
解決できないこと。
堂々巡りになっていること。
そういったものを全部とは言わないが.....
一つでも「書くこと」で片付けていけるならば.....
自分の場合は「書くこと」が十二分に役立つんじゃないだろうかと....
そして....メモに同じくブログが習慣になっているということ。
恐らくは向上心が失くなったれば.....
ブログは書かなくなるような気がする。
何のためだかは自分でも断言できないんだが....
「少しでも良くするため」
誰を?何の?
まあいいか...
そんなアバウトな目標のために....
書いて....記憶し....
書いて....考えてる....のは
心が弱いからじゃなく
頭が弱いからだ。
まあ、あまり格好良くはないんだが.....
頭は良いはず(だと勝手に思い込んでいる)なのに、「心が弱いからうまく行かないんだよね」....と相変わらず人のせい、世の中のせい、政治のせい.....で、"自分じゃないような心のせい”にして....
”自分のせい”にはしないから....妬み嫉み苦しんでいる親を見ていると....
ま、その輪からはみ出て本当に良かったと思える。